金曜日, 2月 29, 2008

労災病院

労災病院の研修指導者講習会に行く。場所は、川崎市中原区の関東労災病院。駅で言うと、東横線の元住吉、あるいは武蔵小杉です。自宅からだと車で30分くらい。ベット数600床の大きな病院です。

そこに全国の労災病院から研修指導者が30人お集まりになり金曜日のお昼から日曜日のお昼まで2泊3日の研修です。ひょんなことから、そのオーガナイザーを承り、自分も2泊3日で研修です。

今日はアイスぶれーキングの日。お互い知らない同士がリラックスして議論することはできませんから、いろいろ遊び的な要素をいれて研修です。それにみなさん上司から命令されてきていますから、結構反抗的です。自分もまさに反抗的でしたからよくわかります。それを逆手にとって研修を進めるのがコツですね。

ところで、全国で30あまりある労災病院というのをご存知ですか。かつては労働省管轄で勤労者のための病院でしたが、今ではほとんど労災患者もいなくなったので一般の地域の総合病院のようになっています。(労災患者は2%くらい) 厚生省と労働省が一緒になった現在、国立病院機構と合体しようと動きがあり、危機感を深めています。今の労災は、整形外科的疾患より、うつ病など精神疾患のほうが多いです。それに美唄など炭坑のあったところなどにあり結構田舎にもあります。

労災病院よ、どこへ行く?

木曜日, 2月 28, 2008

帰ってきました

ようやく帰ってきました。
730に着く予定が、到着したのが905で、入国通関をほぼ一番でして、車に乗ったのが930、東大に着いたのが1100、1050から試験監督予定が15分ほど遅刻。
試験監督が終わったのが1300、サンドイッチを食べ病院長と会談(1330)、1400からアフガニスタンの先生方の研修旅行発表会。
ラオスのときの服装なので本当に寒いです。

夜、JAL名人会に行きました。飛行機で流れる落語の公開録音です。落語三題に漫談と浪曲。落語は、動物園、木津勘助、鶴、どれもよかったですが、鶴光さんの木津勘助が絶品です。飛行機に乗ったら聞いてやってください。浪曲の清水の巌鉄もよかったです。

でも疲れた一日でした。

水曜日, 2月 27, 2008

2月のラオス9日目帰国

いよいよ帰国です。
午前中、病院を見学しました。本来の臨床家に戻って病棟回診です。
ちょうど米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校から内科の指導医がレジデントの指導に来ていて(休みを利用したボランティアのようです)、レジデント指導のよい見本を見せてくれました。
病棟では、ラオスならではの髄膜炎患者、糖尿病で足が壊疽になった人など悲惨な症例が多かったです。紫斑病では、指導医というより専門家になりきって治療を指導してきましたが、継続的に見たいですね。

1130に病院を出て、空港へ。病院から20分くらい、ホテルからだと10分くらいにあります。大きなのが国際空港ビル(日本の援助で建築)、小さいのが国内線。国際線はゲートが3個、国内線はゲートは2個、でも地面を歩いていくからゲート数に意味は無い。
チェックインして、2階で通関、一応お酒中心の免税店がある。お酒以外だと、ラオコーヒーが売り物。一応、ビジネスクラスが使えるラウンジがあります。昼食をここでとりました。1350でバンコクへ。出発が約30分遅れ。

1530バンコク到着。日本へは2350発の飛行機。8時間待ちです。幸い、空港内のホテルが使えたので、空港内をウロウロしてからホテルで仮眠しました。寝れないですね。昼間であること、乗り過ごしてしまいそうなことなどあり、うつらうつらしただけでした。バンコクの国際空港は、廣いです。本当に廣いです。それに、世界のブランド品がそろっています。買い物に行くならお勧めです。隠れた名品は、本当かわかりませんが、象の皮による財布とかバックです。意外とやわらかいですが本物でしょうか?

2350出発予定が、飛行機の到着が遅れたため、30分遅れで搭乗。そしたら久病になった人がいて急に乗らないことになり、その人の荷物を降ろすのに1時間以上かかりました。だから出発したのは2時ごろ。映画も見ずにiPodで石川さゆりを聞きながら眠りました。風の盆恋歌はいいですね。
「若い日の 美しい私を抱いてほしかった しのび逢う恋 風の盆」

火曜日, 2月 26, 2008

2月のラオス8日目報告書提出

ラオスでの仕事をするのも最終日。
報告書を仕上げねばならず、結構真剣にPCに向かいました。
午後2時ごろ、団長のO先生に提出してようやく肩の荷が下りた感じです。
内容は、ラオス医科大学の5年生と研修医にアンケート用紙によるアンケートを行ったので、そのデータを集計し、解釈を加えるものです。簡単に結論を言うと、学生も研修医も自分の学習環境に十分満足しているということ、自分の先生を充分尊敬しているということ、今の勉強が将来の自分の人生に役立つと思っていることなどです。われわれの医学教育支援の事前調査であり、ほんとうのことを言うと、もっと不満と思っていてくれて、われわれの支援のあとには満足が増えたというのがよかったのですが、はじめから満足が多いとちょっと困りますね。

お昼は初めて太い麺のラーメンを食べました。朝鮮料理の冷麺に似た麺でゴムのように噛み切りにくい麺でした。お味はよかったです。よいだしを使っています。やや薄いのでしょうゆを足すとよかったです。
町の高級スーパーには日本のインスタントラーメンも売っています。日本人しか買わないかなぁ

ラオス最後の夜ということで、ラオス料理のお店に繰り出しました。ラオビアのピッチャーを頼んだらこんなのに入れてきました。これで2リッターです。真ん中に氷を入れる筒があります。日本でも広がるといいと思います。
明日のお昼ごろバンコクに行き、そこで10時間ほどの待ち時間で、日本に向かいます。
日本にはあさっての朝につきます。

月曜日, 2月 25, 2008

2月のラオス7日目JCC会議

今日はこのプロジェクトとしては、最も重要な会議の日です。
JCCと呼ばれますが、Joint Coordinating Committeeの略語ですが、国際協力業界用語というか、JICA用語といったものです。実際、世の中には国際協力用語辞典というのがあります。

このJCCは、プロジェクトの基本方針をお互いが確認しあうものです。

実際のところ、このセタチラート病院の人はまた日本人が沢山きているけど何しに来てるのだろう?位にしか思っていないと思います。この会で、医学教育、それも臨床医学教育の強化のために来ていることを知ってもらうような会でした。まだまだ理解の浸透は無理でしょうが、おいおい頑張りましょう。
さらに彼らの興味は投下される資金にもあるようです。そこのところは日本側も決してはっきりとはいいません。狐と狸ですね。
ようやく、このプロジェクトの略称が決まりました。LJ-MESHです。Lao-Japan The project for medical education and research for the Setthathirath Hospitalの略だそうです。写真の垂れ幕の右端に見える赤色のロゴをシールにして、これからいろいろなところにぺたぺた張っていきます。
今回は机仕事が多いので、運動不足です。感動も少ないです。訪問するから、暮らす、生活するに態度を改めないといけないですね。観光客は卒業して、生活者になりましょう。ここにいるときはラオス人になりましょう。
あと数日で帰国します。次回は6月の終わり頃だそうです。

日曜日, 2月 24, 2008

2月のラオス6日目郊外に出かけました

ブンサイ先生にお願いして郊外にドライブに出かけました。

オンラインアルバムを下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=JCKDcZV3r4

まずは昨日とは違う日本人が多く使うゴルフ場を見学。大同小異、樹が少なく水が多いゴルフ場でした。韓国のひとも多かったです。

次に伝統文化博物館。荒れていました。昔は動物園も併設されていたそうですが、今は各地の少数民族の建物が立っているだけの公園で、お弁当を広げている人が多かったです。公園から望むメコン川は巾が広く、大河という感じがします。自分が大河の一滴であることを痛感します。

次に、目的の友好橋をちょっとすぎたところにある、仏陀公園に行きました。友好橋はオーストラリアの支援でメコン川にかけられた最初の端です。ビエンチャンからそこまで約40kmの道は日本の援助で作られ、日本の1級国道のイメージです。ところがそこを過ぎて仏陀公園までの道は、昭和30年代の田舎道、水溜りの穴ぼこだらけの道で、昔の田舎のおんぼろバスの乗り心地でした。

仏陀公園はカボチャ型のモニュメントと広い公園に無造作にいろいろな宗教宗派のお話に出てくる仏や怪獣が並べられています。そんなに古いものではありません。散歩するにはちょうどよいところです。

それから友好橋に戻って、徒歩で真ん中の国境まで行きました。端の長さは1000m強、暑い中を歩きました。橋は片側1車線と真ん中に路面電車のような軌道が敷かれています。鉄道はまだ工事中でいつできる川から無いとのこと。1994年にできたのにまだ工事中とはラオスらしいです。

友好橋の袂に、パスポートチェックのオフィスがありその周りに免税の一大ショッピングモールができていました。お酒が多く、タイ、ラオス双方からの買出し客が大勢いました。

帰り道にブンサイ先生の自宅があり、写真を撮りました。前回来た時、大きく張り出した軒の下で大新年会をしました。

夜は一人で買い物と散歩。大学生の土産にプラダのバック180000キップ(約1800円)を買いました。
誰も悪いこととは思っていないようです。みんなきっと本物と思っています。ラオスの人にとっては充分高いものですから。

街の仏舎利塔もライトアップされ平和裏に今日もラオスの夜は更けてゆきました。

土曜日, 2月 23, 2008

2月のラオス5日目ゴルフ

ようやく休日。4時におきてしまいました。
6時に病院長が迎えに来てくれて、O先生と一緒にゴルフ場へ。O先生はど素人ですがわれわれチームの団長で立場上参加です。
 
ゴルフ場の正面と、1番ホールです。
このゴルフ場は9ホールしかなく18ホールにするには2回廻るそうです。
プレーヤごとにキャディが一人つきます。
パー3が3ホール、パー4が3ホール、パー5が3ホールです。
日本は各々、2ホール、4ホール、2ホールのところがほとんどですね。
ラオスで最も古いゴルフコースで、もともろスウェーデン人が作ったものを最近ラオスに委譲されたようです。
値段は9ホールで7万キップ。2回廻ったから14万キップ。それにキャディに6万キップ上げたので、全部で、20万キップです。2千円です。
とうのゴルフ場は、大きな池の周りに作ったので、9ホール中4ホールが池越えでストレスがつのります。芝は手入れはされているのですが乾季のせいか、芝が薄く裸地から打つ感じでした。グリーンはアンジュレーションが強く、速いです。止まり難いグリーンでした。
成績は、前半調子がよかったのですが、みんなのスコアのいい加減さとかマナーの悪さとか、最後のほうは結構叩きました。でも、病院長には余裕で勝ち、こっちのものだと油断したのがよく無かったですね。
後半、バンカーで4回叩いたのがきっかけで自滅。病院長に負けてしまいました。トータルでも負けて5万キップ取られてしまいました。くやしいーです。
いいたか無いですが、キャディも悪いです。結構かわいい娘なのですが、ほとんど笑顔を見せません。いかにもいやいややっている感じで、社会主義国のサービス業の実態を見た感じです。
 
それと驚くことに、同じゴルフ場に、文部大臣(昨日会った)、厚生省(保健省)の高級官僚・大臣や、医科大学の副学長とか、大病院の副院長とか沢山来ていました。沢山紹介していただいたのですがよくわからなくなりました。
そうなんです、ここはラオスのハイソのたまり場だったのです。7時ごろからスタートするのがラオス人のハイソで、9時ごろから欧州系のひとがスタートしていました。
ちなみにビエンチャンにはもう一つ18ホールのきれいなゴルフ場があって、そこは日本人のたまり場になっているようでした。
ゴルフ終了後は、近くにある病院長のガーデン(畑というより雑木林)を見に行きました。引退したらここに家を建てて住みたいといっていました。息子が小さいときには短いゴルフホールを2ホール作っていたそうです。2ヘクタール(100mx200m)あるそうで、池も3つありました。
今はちょっとした掘っ立て小屋があり、いとこが管理しているようです。
そのあと、近くのゴルフ練習場を見学。これは日本と同じでネットがありましたがよい施設でした。土曜日の午前中なのに誰も練習していませんでした。
ゴルフのあとの定番ということで、町に戻ってマッサージを1時間ばかししてもらいました。若い女の子(ラオス人はみんな若く見える、時には子供に見える)がしてくれるのですが、肩などは力が弱いですがそれなりに気持ちよかったです。1時間で3万キップ、300円です。安いですね。
昼食は、病院長お勧めのラオスそば。いつも病院で食べているものですが街中で美味しいと評判のお店でさすがだしが違っていました。
ホテルに戻ってきたら2時半くらい。楽しいゴルフでした。でも、まけたのはくやしぃー
ゴフル場もスコアカードもキャディも日本の春一番で飛んで行ってしまえばいいのにね。

金曜日, 2月 22, 2008

2月のラオス4日目日本料理

ようやく金曜日、週末です。
メンバーが一人増加。日本から来てくれました。
今日の夜は、日本側チームがラオスのキーの人々をご招待しました。

日本料理店さくらです。
 
入り口は日本の赤提灯様、中は虎の絵があったりミニ水車が回っていたり日本語の新聞があったり、駐在の人の郷愁を呼び起こす感じです。
BGMに森進一が流れています。
料理はたいしたものはありません。はっきり言ってまずいです。
てんぷらも出ました、まずいです、コースの最初にべたべたの焼きそばが出てきてこれもまずいです。

宴会もあまり盛り上がらずに、ちょっと不安です。
ところがそこから事件が起きます。
場を盛り上げようと自分がラオスでゴルフをしたい、誰か情報を知らないかなど言ったのが始まりです。
なんと、病院長はゴルフきちがいで忙しい忙しいと言いながら週に4回もゴルフに行っているそうです。
ゴルフ談義、ゴルフ自慢、いろいろ場が盛り上がる話になりました。
ということで明日ゴルフを一緒にすることになりました。勝負です。
6時にホテルに迎えに来てくれるそうです。
ラオスに来て、ゴルフをしたいとみんなに言っていたのに何の情報も無かったのですが、なんとすごいところに突破口がありました。
そして、もう一つ事件です。隣の部屋のグループの中に文部大臣(教育省大臣)がいて、名刺交換と握手をしました。狭い首都です。
ということでかろうじて大盛会と言うことになりました。

木曜日, 2月 21, 2008

2月のラオス3日目

お仕事は机の上の仕事でつまらないです。
ラオスの学生や研修医を対象にしたアンケートの集計や、解説を書いています。

夜、病院のみなさんが、沖縄から内視鏡指導に来ている金城先生と一緒に歓迎会を開いてくれました。

写真を見てください。
http://www.imagegateway.net/a?i=pnuCgXRDqr

ラオス式の儀式ですが、最後はらんちきのディスコパーティになりました。
まず祭壇の前で、祭司がお経のようなものを10分ほど言います。
それが終わると、飾られていた紐(10cmくらい)が参加者に配られお互いが絆を誓って手首に結びます。これは3日間はずせないそうです。自分は、招待されるほうで、両手で10数本の紐を結んでいただきました。ラオスとの絆は深まりましたね。
それから中華料理のような回転テーブルで大宴会。そこそこおなかが膨れた頃からカラオケが始まります。参加者で一番偉い病院長がカラオケの口火を切ると、あとは、店の専属歌手が歌を歌いダンスが始まります。ダンスは、女性が男性を誘い、それは断ることができないそうです。このタイプの踊りは、日本の盆踊りに似ています。男女が向かい合って、輪を回ります。フォークダンスと違うのはお相手が変わらないことですね。(自分は中学校のときにオクラホマミキサーというフォークダンスで苦労したトラウマがあります)もうひとつのタイプは女性だけがステップを踏むものです。若い人から婦長さんまでみんなちゃんとステップを踏んで踊るのは壮観です。ミラーボールもカラフルで、踊りを盛り上げます。

これらの踊りをよりよく知ってもらうには次の質問がいいです。
演歌でディスコを踊れますか?
ラオス音楽は日本の演歌と中島みゆきをあわしたような音楽で、それでステップを踏んで踊ります。
上を向いて歩こうででも、踊りました。

ラオスの人々はエネルギーがたまっています、とくに若い人は。

水曜日, 2月 20, 2008

2月のラオス2日目

今日もいい天気です。ラオスでは今が一番よいシーズンです。絶対に雨は降りません。
それに暑くなく寒くなく、最高です。
今回のラオス滞在は実質的な現状調査報告書を書くことで、机仕事がほとんどです。わざわざラオスまで来る必要は無かろうと思うかもしれませんが、日本に居たらこの仕事に集中できるわけも無く、極楽に最も近い国でPCに向かっています。
とはいえ夜は別です。今日はメコン川の川べりの屋台に繰り出し、魚料理と鍋料理に舌鼓を打ちました。この写真はよくできていて、飲み物はラオビア、お魚は川魚ですが鯛のようなお味です。向こうに見えるのが、もち米ご飯と、七輪に乗ったお鍋です。なべというよりポットですが、いいだしが入っていてそこに肉や野菜をほりこんで食べます。手前のカップがお味噌系の薬味で、鍋料理に少しずつ加えて食べます。
メコン川を渡る風がいいのか、食べたものをかわらに投げ捨てられる開放感がいいのか、食が進みます。
そして夜は爆睡。

火曜日, 2月 19, 2008

2月のラオス1日目

ラオスのお仕事1日目。時差が2時間あるのでラオス時間の5時(日本時間7時)に起床。
相変わらずのよい天気です。
写真は投宿しているDaily Innというホテル。3階の右から2番目が自分の部屋です。
朝食は大好きなおかゆ、今日はチキンバージョンです。

 

運転手のカンパイさんも元気です。


仕事場の病院は相変わらず。
夜、一緒に働いている高齢のS先生の発案で正統なラオス料理を食べに行きました。
そこでの踊りです。
きれいな踊り子さんたちでした。でも衣装も振り付けもタイよりずいぶん地味です。

月曜日, 2月 18, 2008

ビエンチャンまで

早朝3時前に起床して、旅行のためのパッキング。ぎりぎりまでやらないのが性格のさせる技ですね。
5時ごろに入浴して、630に出発。成田空港そばの民間駐車場には800につきました。
搭乗手続きなどを済ませてラウンジに入ったら920頃、それから約2時間ラウンジで、過ごしました。久々にゆっくりできました。バックの中に歯磨きチューブが入っており、それを探し出し捨てさせられました。面倒で、時間もかかり、結構不愉快な思いをしました。

日本航空でなく、全日空でタイのバンコクまで、7時間30分くらい。睡眠不足なので、結構寝ることができました。合間を縫って昔の映画で「駅前弁当」というのを見ました。淡島千景と、フランキー堺、伴淳三郎、森繁久弥さらには加藤大介、坂本九といった面々で、面白い人情喜劇でした。あとは、機内でiPodを聞いていたら比較的早く到着。
バンコクでは約3時間30分の待ち時間。タイの空港のショップはすごいですが、まだお土産を買うには早すぎるので、ほとんど見ずにラウンジでインターネットをしていました。

バンコクから1時間、本当に暗黒の海を行くようなフライトで、1時間でビエンチャンです。
「ただいま」という感じです。ホテルの人も、「お帰り」です。
でもホテルに入ったのが現地時間で午後10時30分、日本時間では深夜0時30分。
疲れて眠くて、それに機内ラウンジと飲み続けたので飲みつかれ。お風呂を簡単に済まして爆睡。

ラオスと日本の時差は2時間。これをご考慮のうえぜひぜひメール下さいませ。

日曜日, 2月 17, 2008

疲れたぁー

臨床研修指導者研修の2日目。

昨日は理論や総論が中心だったので、今日は実践中心。

何をどう教えるのか。研修医をどう叱るのか?
やる気の無い研修医にはどう対応するのか?



その中で、慶応大学の杉本先生のコミュニケーションの参加型講義はインパクトがありました。
具体的内容は企業秘密だそうで他言できませんが、
本当にインパクトのある講義でした。

それにしても疲れました。一日中立っていること、それなりに緊張していること、
疲れる要因は多いです。

明日からラオス。ラオスでゆっくりしましょう。

土曜日, 2月 16, 2008

浄土

午前中は、厚生労働省で国家試験関係のお仕事。お昼をはさんで、午後は大手町で介護福祉士の試験作成のワークショップ。介護福祉士は15万人も受験生があり、インパクトが大きいです。ちなみに医師は8000人くらいの受験生です。

あまりのばたばた、自分を見失っていると思ったのでしょうか、友人が後楽園のラクーアという温泉に引っ張り出してくれました。休憩所ですぐに寝てしまいましたが、お風呂はいいものです。
ラクーアから帰ってきて明日からのワークショップの準備を深夜まで。泥縄です。(ずいぶん前に泥縄とか棚ぼたといったことわざの省略形の一般名詞化について考察したのを思い出していました。)


いま、日本仏教思想史という本を読んでいます。疑問:極楽浄土は存在するのか?あるとすればどこにあってどんなところか?どうしたら北村 聖はいけるのか?かなり本質的な疑問ですが、たまにはこんなことを考えるのもいいかなぁと思って読んでいます。今のところ、極楽浄土は存在しない、だからどんなところかは分からない、でも死んだら極楽浄土に行きたい、地獄には行きたくないというあい矛盾する気持ちを持った凡夫です。極楽浄土はラクーアみたいなところかと思います。ぜひ行ってみてください。

木曜日, 2月 14, 2008

親ばか

辰野金吾という人を知っていますか。明治時代の建築家で、東京駅とか日本銀行本店などを設計した人で、日本人としては初代の東京大学工学部長です。
東大工学部建築学科では、卒業制作を教員が選考して優秀作3作品に毎年辰野賞を贈っています。今年の辰野賞にうちの上の子が最優秀で選ばれました。親ばかですが、やっぱうれしいですね。
最近は不良少女で、正月明けから学校に泊り込んでいたので気合は入っていたとは思うのですが・・

3月2日午後2時から東京大学、東京藝術大学、東京工業大学合同の卒業制作発表会が東大安田講堂で開かれ、そこで公開されるそうです。
辰野賞の副賞は海外留学半年。どこへ行ってもいいそうです。若者はいいですね。

とうの本人はインフルエンザで39.9℃の発熱でうんうんうなっており、下熱剤を使って発表会に行っていました。散々なバレンタインだったようです。

北村 聖もチョコをいただきました。ありがとうございました。

水曜日, 2月 13, 2008

鹿児島

鹿児島県はたぶん3度目の訪問ですが、前の2回は何れもゴルフで、鹿児島市内には行っていませんでした。
初めての鹿児島、桜島を探しました。大学病院は高台にあるので見えるのかなぁという感じで見ると、目の前にどーんっとありました。思ったより近く、大きく見えました。西郷さんのイメージですね。
 

鹿児島大学病院は鹿児島中央駅からは遠かったです。ホテルのひとも行き方を十分には知らないようでした。鹿児島の白い巨塔なのかもしれませんね。
学生の実技試験は大変よくできていました。数人の学生が無断欠席をして担当の先生が大慌てでお気の毒でした。学生は無断欠席の意味をまだ知らないですね。無責任も学生の特権ですかねぇ?
1950の飛行機で帰京。大学によってから帰ったらほとんど深夜0時でした。

火曜日, 2月 12, 2008

一日中外来

月に一度程度、総合内科外来を分担しています。
今日はその日で、9時から12時まで外来。氷雨の日で3時間で4人ほど。それもたいしたこと無いけど近くにきているから東大に来たという程度。
午後は、本来の血液内科外来。2時間30分で10人程度。それでも一人15分。
それから、自分が司会する委員会の会議があり、1730に東大を出る。
御囲地町1745、浜松町1758、そして羽田1855分発で、鹿児島に移動。
鹿児島空港には2105に着いたのですが、バスが2115発、鹿児島中央駅には2205、ホテルには2220になりました。
鹿児島中央駅の観覧車。新幹線を祝って作られた。

それから食事。居酒屋に一人で行きました。
アジの刺身が無茶苦茶美味しいかった。なんと実が甘いのです。
脂の乗り方が絶妙。天下一品のアジでした。


駅前のホテル。一泊6000円。

隣は新幹線の鹿児島中央駅。

月曜日, 2月 11, 2008

建国記念日

久しぶりの晴天。H大学の入試で、一日中診療所待機。
第1例:試験前に、気持ちが悪くなったので、別室受験ができないかたずねてくる。母がノロウィルス感染で下痢をしていてそれがうつったと思う。別室受験できない旨、話す。
第2例:気持ちが悪くなり、試験開始後30分ほどしてくる。登校途中の電車で、隣のおばさんの体臭がきつくて気持ち悪くなったとのこと。しばらく休んで試験を放棄して帰宅。
第3例:幻暈(めまい)がするというので、試験40分ほどで来室。机の方がいいと机にうっぷして1時間ほど休んでいる。幻暈の薬とてんかんの薬を投薬されているがここ1ヶ月飲んでいないとのこと。親が3時間後くらいに迎えに来る。

どれもこれも、極端に言ったら人生を決めるかもしれない試験に対して、準備不足というか、試験ができないことを人のせいにするというか、困った子たちです。因みに全員男(工学部の試験だから)。看護婦の話では文科系だともっともっと多いとのこと。

建国記念日 近くの靖国神社に多くの右翼団体がおまいりに来ていました。機動隊のような軍服のような制服に身を固め、日の丸を掲げて集団でおまいりするのはいいですが、皆さんおなかが出てメタボ気味。おなかの出ている軍隊は強そうでないですね。鍛え方が足りないです。

日曜日, 2月 10, 2008

富士山

朝から、共用試験機構で将来の偏光に向けてのあり方を考える会議、ワークショップ。みなさん全国から来てくれ熱心な討議がなされ、生産的な会議でした。でも、休日がつぶれるのはつらい。
写真ではみんな疲れていますね。


夕方にはきれいな夕焼けが広がり東京からも富士山がよく見えました。

土曜日, 2月 09, 2008

雪道

ある病院連合会の研修指導者研修会で講演。
研修医を教えることはつらいことではなく、楽しいことですと力説。

夜は雪です。今年は雪が多いです。
夜、駅から家まで雪道を踏みしめながら帰ってきました。最初はiPodで八代亜紀を聞きながら歩いていました。「酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい・・・・」聴いていたらどんどん暗くなったので、やはりもっと元気よく歩ける曲がいいと思い変更。
軍歌、これは元気が出るだろうと思ってかけたら「戦友」。「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の・・・」雪道が満州の逃避行のようになりました。

寒いです、雪で転ばぬようお気をつけください。

金曜日, 2月 08, 2008

研修2日目

政治家の麻生太郎氏の弟の麻生泰氏の講演がありました。

麻生飯塚病院の経営母体である、株式会社麻生の社長です。病院経営のお話です。患者中心、働くもの中心の病院を目指しましょうというお話。当たり前のお話でした。

声も顔も政治家とそっくり。それが面白かったです。

話は変わって(閑話休題)
今月号のdancyuという雑誌、タイトルが「美味しいおでんと日本酒がニッポンを幸せにする!」でした。
2つの特集があります、1はおでんの笑顔、2は感動の純米酒。特攻で購入しました。
読むだけで幸せになりました。

木曜日, 2月 07, 2008

研修

午前中厚生省で会議。

午後、埼玉県和光市にある国立健康科学院で、研修を受けました。1泊2日の予定で、「臨床研修センター長研修」です。

健康科学院は、かつての公衆衛生院と病院管理研究所が合併してできたもので、さまざまな職種の医療者の研修を行っています。例えば、保健所長研修とか病院長研修とか、保健師研修とか、いろいろです。宿泊施設があり、一泊2700円、シーツ、枕カバー、掛け布団カバーは自分で広げます。温暖化対策のため部屋は寒いです。テレビはありません。
健康科学院は理化学研究所や税務大学などと隣接して広大な土地にあり、戦前の陸軍の練兵場だった場所だそうです。今でも朝霞自衛隊駐屯地とつながっています。だから回りは何もなくコンビにすらありません。缶詰研修にはもってこいですね。

健康科学院にかつて東大で講師で部下だった先生がおられ、誘って、和光市の駅までのみに行きました。春の食材のてんぷらがよかったです。茅ヶ崎の病院長や横須賀共済の副院長などとご一緒でした。医療はやはり現場で活躍するのがいいですね。

夜寒々とした部屋に帰ってきて、布団にちぢこまって寝ました。

今年行った県が1県増えました。1神奈川(自宅) 2東京(職場) 3千葉(ゴルフ) 4栃木(自治医科大学) 5群馬(群馬大学) 6三重(鳥羽市、神島) 7愛知(名古屋) 8沖縄(那覇の県立病院) 9埼玉(和光市、健康科学院)

水曜日, 2月 06, 2008

行動科学

米国の心身医学の大家のノバック先生をお招きして「行動科学」の講演会を開催しました。

心身医学ってご存知ですか?心療内科みたいなものです。心におおもとの問題があるのだけれど、症状は身体症状例えば動悸とか、顔のほてりとか、下痢とかの症状を呈する病気ですね。もちろん心のほうのケアをしないと直らないですね。

行動科学というのはご存知ですか?
WEBで調べると、行動科学(こうどうかがく、英:behavioural science)とは、人間の行動を科学的に研究し、その法則性を解明しようとする学問。心理学、社会学、人類学などがこれに含まれる。包含する学問分野は社会科学と重なる部分が大きいが、社会科学が社会システムの構造レベルの分析が中心であるのに対し、行動科学では社会内の個体間コミュニケーションや意思決定メカニズムなどに焦点を当てると書いてありますが、何のことかよくわかりませんね。そもそも、社会学というのも、よくわかりません。

司会をしていたので、自分は「行動科学とは、人間を対象とした学問のうち、人間の生物学を除いたすべて」と定義してみました。認知心理学や、人類学や、精神医学の一部などが含まれそうですね。今流行のコミュニケーション学も中心的テーマですね。それに、教育とかプロフェッショナリズムなども含まれそうですね。

ノバック先生の講演では、最初に、多くの人がかかる病気でその原因が行動科学で解決できるものが多いという話から導入されました。タバコによる癌、太りすぎによるもろもろの生活習慣病、これらは行動科学的アプローチで治療できるかもしれません。

充分説明できないけれど、行動科学は今からの学問と思います。たぶん。

火曜日, 2月 05, 2008

こういうことってあり!?

将棋の棋士の島朗さんにお会いする。同時に、漫画家のさかもと未明さんにお会いする。実は、その世界では有名な方らしいのですが知らなくて申し訳ないことをしました。色紙に漫画を描いてもらえばよかった。

夕方、スケジュール調整がうまく行かず、ダブルブッキング。重要な会ですが、公用でない会議(仮に会議A)のほうを失礼しました。別のほうの会議(会議B)に出席し、そのあと食事会ということで場所をかえ、会議Bのメンバーと東京會舘の地下の中華料理店東苑というところに行ったら、なんと、会議Aのメンバーがお食事をされていました。

あなたならどうする?1)会議Aのメンバーのかたがたにご挨拶する。2)会議Aのメンバーの方々に見つからないように、会議Bの方々と個室で食事する。

自分がしたのは2番でした。会議Aの先生方ごめんなさい。

月曜日, 2月 04, 2008

立春

立春です。
立春の枕詞に、「暦の上では」というのがよくついています。
春は名のみにて、まだまだ寒いことが多いです。今年もまさにそうで、まだまだ寒のうちです。
とはいえ、職場の近くの辛夷の樹には、産毛に覆われたつぼみが見られます。

小学校の理科の問題で
「氷が解けると何になるでしょう?」というのがあって、
「春です」と答えた子供がいたという作ったような話があります。
そのような感性を失いたくないけれど、この少年が空気の読めない大人に成長するのではないかと心配です。

夕方、川崎の関東労災病院に行って来ました。大きな病院です。事務員は、旧労働省。旧厚生省より頭が堅そうです。概して、本省よりも、外郭のほうが事務がお役所仕事ですね。

日曜日, 2月 03, 2008

ゴルフ、心ならずも中止

東京、横浜は朝から雪でした。
5時におきて、雪の中をゴルフに出かけようとしました。そのころはほとんど積もっていなかったのですが、東名の入り口に向かう間にどんどん積もってきて、高速道路には乗らずに、帰って来ました。
成田空港そばのゴルフ場に6時ごろ電話が通じ、状況を聞くと雪は降っておらず、雨とのこと。
しかし、帰りが心配なのでゴルフは中止としました。

しばらく雪を見ていたのですが、また寝ることにして、目が覚めたらお昼前、一面の雪景色でした。ゴルフをあきらめてよかったと自分に言い聞かせて、iPodで遊んでいました。
夕方5時から、お酒を飲み始めて2号ほどのんだら眠くなりまた寝ました。

正月からの疲れがたまっていたのでしょうね。よく寝ました。ほんと、よく寝ました。インフルエンザからも完治、中国製餃子も食べておらず、健康状態は最高にあります。

土曜日, 2月 02, 2008

漢方セミナー

修学旅行はどこへ行きましたか?

自分は金沢の中学高校でした。中学3年生のときは関東です。
1日目は金沢を出て米原経由で新幹線に乗って熱海で降り、伊豆の湯ヶ島のとうふやで一泊です。2日目は伊豆の踊り子の道をたどって(今では、石川さゆりの天城越えのほうがいいですが)下田に抜け、2泊目は横浜のドリームランドでした。3日目は、羽田空港から東京を見学しました。自分は銀座がいいと主張したのですが、西洋美術館などしょうもないところを見学しました。泊まりは、四谷の旅館で、東京に親戚のいる人はそっちのほうに行きましたが、縁の無い人は枕投げをして楽しみました。次の日は上野から金沢に帰りました。
印象に残っているのは、その当時金沢では100円札だったのに、東京では100エン硬貨であったこと。都会は進んでいると思いましたね。

高校の修学旅行はまた今度。
今日は、漢方の会社の大イベントで京王プラザで一日過ごしてしまいました。

金曜日, 2月 01, 2008

金曜日

金曜日は秘書さんがお休みの日です。

本来不便であるはずなのに、最近はホッとしています。仕事が増えないからですね。こんなことばれると怒られてしまいますね。

午前中は環境安全のお仕事や研修医のお仕事であっという間に終わり、午後はOSCEのお仕事であっという間に終わってしまいました。ようやく待ちに待った週末ですね。