日曜日, 3月 30, 2008

久しぶりのゴルフ

久しぶりのゴルフ
ほとんど2ヶ月ぶりです。ゴルフをしなかったというだけでなく、ほとんど2ヶ月ぶりの日曜日の休日です。
成田の先は、寒流の影響か、桜の開花も遅く、まだ3分から5分咲きでした。それに、特別寒かったです。
ゴルフの成績は、49/49 と50には行かないまでも、本来の実力ではないと思います(^_^.)
しかし、久しぶりのことを考えれば、また練習もしていないことを考えればまずまずでしょう。
26人中19位。

土曜日, 3月 29, 2008

上野の景気の悪い花見

上野の森で花見をしました。それも穴場があるというので出かけました。

それは国立博物館の中庭で、有料ですいている、また展示物にも桜にちなんだものがあるというので出かけました。特別展示は、薬師寺展、日光菩薩、月光菩薩(がっこう菩薩と読みます)、それに天女のような国宝吉祥天像の絵がありました。
感想は2点
1)仏像は本来あるべきお寺の本堂など(今回の場合は薬師寺金堂)で見るべきであって、博物館の展示室で見ると、仏像がかもし出す雰囲気というか、ありがたみというものがまったく感じられなくなります。タイのバンコクの骨董品店のガラクタと同じになってしまいます。
月光、日光の菩薩は薬師如来像の左右にあって輝くものです。それも黄金の後光の前で輝くものですね。
2)中庭の桜はたいしたことないです。植物的には大きな桜の樹があったり枝垂桜があったりしていいのですが、人が少なめで景気が悪いです。やはり花見は人がごった返している喧騒の中のほうが景気がいいですね。花も華やかです。
ということで、博物館のあとはお決まりの上野の山の大混雑を経験して帰ってきました。

芙蓉(ふよう)の雪の精をとり
芳野(よしの)の花の華(か)を奪い
清き心の益良雄(ますらお)が剣(つるぎ)と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か人世の偉業成らざらん

金曜日, 3月 28, 2008

いし国家試験の発表

本日午後に発表がありました。
去年は1人しか落ちず、全国2位の好成績でした。
ことしは、今年卒業者7名、浪人2名が落ち、順位も平均くらいで数えれない位置でした。

それほど経験があるわけでないですが、どうもまとまりのあるいい学年と、数名のやる気のない学生に引っ張られ活気のない学年が交互にくるような気がします。
教育のほうは、ほとんど内容も変わっていないですので関与は薄いと思います。もちろん成績のよいときも教育の関与は薄いでしょうね。

がっこうの本当の目的は、同世代の学生同士がお互いに切磋琢磨することにあると思います。教育の本質は議論であるということに通ずると思います。講義のようないわゆる教育はたいした影響力を持たないですね。放送大学に医学部がない理由はこういうところにあると思います。

木曜日, 3月 27, 2008

☆おにいさん

「聖☆おにいさん」という漫画がはやっているそうです。(R25というフリー雑誌情報の本日発売号)
読み方はきよしでなくセイントと読むそうです。
お釈迦様(兄)とキリスト(弟)の兄弟が現代で、アパートを借りて生活するそうです。

愛読書にノンフィクションですが「聖の青春」という本があります。
こっちのほうは、さとしの青春と読みます。
将棋の天才が谷川や羽生に挑戦するのですが、ネフローゼという難病のため早世する話です。
主人公は村山聖、ノンフィクション賞を受賞した作品でちょっと泣けます。

水曜日, 3月 26, 2008

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
在原業平

この歌が好きです。逆説を使ってちょっと凝っているのが好きです。
今も変わらないですね。開花はいつだ、満開はいつだ、今年はどこへ行こうか?などなど
春の心はのどけくないですね。

桜の名所のお勧め
1)東大医学図書館前
100年近くたっているのではないでしょうか?古い写真にも写っています。
いつもはこの木の下で花見をするのですが、今年は工事中のため、中止。来年こそはやりましょう。
2)北の丸公園
お堀の対岸の桜が立派です。菊で言うところの懸崖になって堀にたれているのがいいです。
3)たまプラーザ駅前のトンネル。
4)サントリーホールのあるアークヒルズ裏の別名桜坂の桜のトンネル。
この二つはトンネル状態になるのでいいです。
5)隅田川の川べり、浅草側でなくアサヒビールのある向島ほうがいいです。

行ってみたい所

信州 身延山久遠寺のしだれ桜
弘前城
六義園の一本桜

皆さんご存知の桜の穴場を教えてくださいませ。

火曜日, 3月 25, 2008

卒業式その2

東京大学の卒業式でした。
大学院生の卒業式は昨日で、今日は学部学生の卒業式。
9時から文系、11時から理系。

我が家の娘2人もようやく卒業。
朝5時におきて、6時に我が家を出発、7時に着付けのところまで送っていきました。
その後は仕事が忙しく、どのような卒業式であったか知らないのですが、
天気がよくてよかったです。

月曜日, 3月 24, 2008

卒業式その1

法政大学の卒業式が日本武道館でありました。
朝から救護所で待機でした。

女子学生のはかま姿が華やかで、ちょっとりりしくていいですね。
あいにくの雨、ちょっとかわいそうでした。

武道館や靖国の桜も一気に咲き始めました。

日曜日, 3月 23, 2008

北京第4日目 帰国

9時ごろまで寝ていました。
弟のアパートは陸上競技場に近いので、散歩がてら見に行きました。れいの愛称鳥の巣と呼ばれているスタジアムです。
近くで見ると本当に大きいです。まだ工事しているところが多いです。またぶら下がって鉄骨を磨いている人もいます。
ここだけでなく、北京中、ずいぶん五輪ムードが盛り上がってきていますね。
北京のインターネット環境は悪いです。研究所が一番いいですがそれでも結構遅いですし、アパートの無線ランはきわめて遅く大きなファイルは絶対だめですね。空港も無料のランはありません。

結構見栄を張って、無理をして、人海戦術をして何とか先進国に追いついていっている町です、Beijin 北京という町は。
日本時間19時30頃無事着陸。飛行場内はひどく込んでいました。
短いですが有意義な旅でした。

2月末から、ラオスに始まり、労災の研修会、米国1週間、石川の法事、中国と人生でも未だ経験したことの無いハードスケジュールも何とか無事終了。書かなければならない報告書の山はありますが、当面日本に腰を落ち着けて奮励努力しましょう。

土曜日, 3月 22, 2008

北京第3日目 頣和園

9時に起きて頣和園に見学に行きました。途中弟の中国語の先生(喬贇 Quao Yun)を拾う。30歳くらいの才女です。日本語も結構分かります。3人で2時間ほどかけ広い廣い庭園を散歩しました。オリンピック期間中はここももっともっと込むのでしょうね。

お昼は、麺とスープが別々に出てくる中華麺や。このスープがめちゃくちゃ美味しいです。鳥のだしが最高です。さすが本場ですね。

午後はスーパの見学を兼ねて買い物に。もちろん物は豊富です。売っているものも日本と全くちがいません。有機野菜(無農薬の意味)がそれなりに人気です。油の売り方が半端で無いです。5リッターボトルで売っています。油をすごく使うのですね。CDショップにも行きました。日本の歌手のCDや日本のテレビドラマのDVDなどが多く売られています。山口百恵と中国音楽、華麗なる一族(キムタク)、相棒(水谷豊)、それに溝口健二の「雨月物語」を買って6000円くらいでした。夜は北京駐在のお知り合い(写真では女性だけですがもう一人はおじさん)と結構高級な中華料理店に出かけました(弟を含めて4人、中華料理は大勢で食べないといけないから不便なときもあります。)。http://anafriendpark.ana.co.jp/park/chinavi/weekly/news_75/index.html
上海のほうでなく、郡王府のほうです。

たぶん昔のちょっとした皇族の家を移築したようなところで、清朝の衣装のウェイトレスがおります。30年物の紹興酒が美味しかったです。ちょうど大学を卒業して30年、この間じっと甕の中にいたのですね。まろやかで最高です。料理も最高です、ふかひれスープも美味しかったです。

金曜日, 3月 21, 2008

北京第2日目 科学院教育院

午前6時におきて、7時30に出発。途中北京大学の図書館の前で林先生を拾って、中国科学院教育院へ。今回の訪問の主目的です。
 中国科学院には100を超える研究所があり、弟がいるのが微生物研究所、そのた物理生物研究所や天文台や、力学研究所などいろいろあります。それぞれに大学院生を採用しているのですが、最初の一年はこの教育院で講義や実習を受けます。そして2年目に各々の研究所の研究室に配属され修士や博士を目指して、研究生活を始めます。日本だとすぐに研究室に入ってしまうので、専門領域には多少深い知識があるかもしれませんが、非常に巾の狭い研究者になってしまいます。この中国のシステムには見習う点も多いと思います。

お昼はじゃじゃ麺。お味噌が美味しいです。そのとき一緒にとった卵スープがまたよかったですね。午後は、研究室に戻って、研究所の活躍を見たりカンファに飛び入りで出席しました。
2日目の夕飯も中華料理。微生物研究所にお客さんが来るといつも行く中華料理の定番の元名居というお店。いろいろな料理が出ましたが、あわびそっくりのきのこが面白かったです。非常に上手に料理の写真が取れたので見てやってください。3時間近くかけた夕食も終わり、北京の夜は更けていきました。

注釈:北京のインターネット環境が悪く、アップロードが遅くなりました。また3日分のオンラインアルバムを作成しました。 下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=p1oCgbxnTo

木曜日, 3月 20, 2008

北京第1日目 はやがわり

朝早起きしてパッキング。前の日にやっておけばいいのにどんどん不精になって出発直前に準備するようになってしまいました。
630に家を出て成田空港近くの駐車場に着いたのが800くらい。830にチェックインして弟と一緒にラウンジへ。今回はエコノミークラスなので弟の随行員のような感じで使わせていただきました。
1035発、3時間40分くらいの飛行で、現地時間1320分くらいに北京につきました。

オンラインアルバムを作成しました。 下記のURLからご覧ください。 http://www.imagegateway.net/a?i=p1oCgbxnTo

早速、弟のアパートによってから研究室へ。どちらもオリンピック公園の近くにあり、鳥の巣と呼ばれるメインスタジアムがすぐそこに見えます。少し仕事をしてから、中国の演芸を見せてくれる中華料理屋さんに日本人スタッフとともに出かけました。
料理は結構正統派の清朝宮廷料理。その中でたのまなかったですが豚の骨髄を飲むのがあって驚きました。トウガラシの中に鶏肉が埋まっている料理は、味はいいのですが、辛かったです。後は結構経験したことのあるお味で、違和感なく楽しめました。
芸で最も面白かったのは、四川のほうの伝統芸で、お面の顔のはやがわりです。20種類くらいの種類の顔があるのですが、ほんの一瞬でどんどん変わっていきます。誰も種を知りません。国家機密だそうです(*^_^*)
そのほかの芸では、足で何でも回す芸があり、大きな甕を軽々と回していきました。面白いです。

夜おそく、高校の後輩で、住友商事に勤めている東君というかたと遅くまで田舎の高校の話をしました。いくつになっても高校の後輩はかわいいものです。

水曜日, 3月 19, 2008

教授総会

今年度から教授総会で、各教授が自分の研究のエッセンスを発表するという試みがされています。
今日は自分が当たり、アフガニスタンへの医学教育支援についてお話させていただきました。

出席された先生はそれほどは多くなかったのですが、自分で言うのもなんですが、結構好評でした。
これに先立つこと、午後一で、新研修医に症例提示の仕方と、自己紹介の仕方をお話しました。その中で、落語たらちねを引用して、KYの自己紹介は迷惑であることをお話しましたが、タラチネを知っていた人が100人中2人で寂しかったです。
「卒業したばかりで何も知らない不束者ですが、一生懸命頑張りますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。」を省略して「よろしくお願いします。」で自己紹介を終えることというのがインパクトがあったみたいです。変なところで受けるのが最近の若者です。

明日20日から23日まで北京に行ってきます。このところの出張シリーズの締めくくりです。

火曜日, 3月 18, 2008

プロフェッショナリズム

研修医のオリエンテーション2日目。
プロフェッショナリズムのお話をしました。堅い話の間に、患者さんからお礼をもらう話で、現金10万円だったらもらいますか?もちろん全員Noです。すこしずづ下げて行って千円で2人くらいもらってもいいという意見でした。みかん箱なら7割くらいはもらってもいいという意見でした。ここで質問、もらってよい場合ともらってよく無い場合の境はなんでしょうか?

自分が用意した答えは、原則お金や物はもらってはいけないが、かたくなに断ると人間関係を損なうことがある。そこで、もらったことが公にしても恥ずかしくないものだったらいいだろう。公になってあわてて返すようなものだったら初めから貰わないというものです。
研修医の答えのひとつに、友人通しのやり取りであるものならばよいのではというのがありました。友人で現金をくれる人はいないですが、みかん箱やお菓子はくれることがありますね。
この答えはいい線言っているかも知れませんね。

月曜日, 3月 17, 2008

新研修医のオリエンテーション

今日から新研修医のオリエンテーションが始まりました。
センター長としてのご挨拶というか、お願いは2つ。医療安全と研修医の心身ともに健康であること。とくにうつ病など心の病気には本当に気をつけていただきたいですね。

日曜日, 3月 16, 2008

一周忌2

午前11時から法事、両親の実家筋に来ていただき総勢9人で焼香を済ませて、会席。
思い出話や、近況報告をひときしりしてお開き。
月日のたつのは速いものとつくずく思います。

伝統芸能体験館と言うものがあり、輪島塗の箸作りに挑戦。埋金を体験したのですが難しいです。
キヨシと書いた御箸が一膳できました。
7000円の九谷焼のご飯茶碗を購入。小丼くらいの大きさで、古九谷の赤がいい色で出ています。
それから1600円の焼酎グラスも購入。

夜遅く帰京
今年行った県が2県増えました。1神奈川(自宅) 2東京(職場) 3千葉(ゴルフ) 4栃木(自治医科大学) 5群馬(群馬大学) 6三重(鳥羽市、神島) 7愛知(名古屋) 8沖縄(那覇の県立病院) 9埼玉(和光市、健康科学院) 10鹿児島(大学) 11岐阜(羽島郡) 12茨城(筑波大) 13石川(実家) 14福井(永平寺) 3ヶ月としてはよく行った方と思います。

土曜日, 3月 15, 2008

一周忌

母親の一周忌のために、石川県に来ました。
飛行機から見た北アルプスです。快晴でした。
午前中についたので、30分くらいドライブして福井県の永平寺に心の洗濯に行きました。
ほんとうは3日くらい泊り込んで座禅をするのがいいのでしょうがそうも行かず、
駆け足で幽谷の風情を感じてきました。世の中の無常を感じてきました(*^_^*)
  
夕方弟と落ち合って寿司を食べに行きました。
人口1万人の小さな田舎町(山代温泉)にDANCYUに載ったおすし屋さんが2軒あります。
40歳くらいの店主が頑張っています。最近、清酒やましろというのも売り出しています。
写真はボタンえびですが、無茶美味しいです。それに安いです。
HPもできています。

金曜日, 3月 14, 2008

レジデンシー修了評価

今日は筑波大学で6年コースのレジデンシーを修了する先生方の外部評価の面接。
30人くらいの卒後6年目の先生に面接し、自己評価などをお聞きしました。6年たつと医師らしくなっており、立派に一人前になっています。
子育てと両立している医師、臨床から研究へと進もうとする医師、在宅緩和ケアを目指す総合医など本当に個性が出てみんなよい成績でした。
面接官も彼らからエネルギーをもらいました。
夜は厚生省の気の会った人々と春の宴。よかったです。

今年行った県が1県増えました。1神奈川(自宅) 2東京(職場) 3千葉(ゴルフ) 4栃木(自治医科大学) 5群馬(群馬大学) 6三重(鳥羽市、神島) 7愛知(名古屋) 8沖縄(那覇の県立病院) 9埼玉(和光市、健康科学院) 10鹿児島(大学) 11岐阜(羽島郡) 12茨城(筑波大) 海外は、これは通過も含めて 1ラオス社会主義共和国 2タイ王国 3米国

木曜日, 3月 13, 2008

自爆テロ

午前中、オハイオ州立ライト大学の医学教育の先生方が医師臨床研修の話をおききになりにこられる。米国から帰国したばかりなので耳が慣れていていつもに無く順調にお話ができた。

でもすぐに耳は英語を忘れます。

午後は、他大学の学生を対象に臨床研修説明会と病院見学会を開催。60人近くの学生相手についつい気合が入ってしまい、あとで疲れが出ました。

夕方はアフガニスタンからの客員教授と、中国からの留学生の歓送会と、インドネシアからの研究生の歓迎会をかねてパーティ。アフガンの人々に気を使って、アルコールなし、豚肉牛肉何れもなし。いまいち盛り上がりに欠けるがまぁいいか。

アフガニスタンのカブール空港近くで自爆テロがあり、6人が死亡とのニュース。家で話題にしたら娘が、「日本も昔やってたジャン」ときた。特攻隊と自爆テロを同じにするかぁ?ものすごい違和感を感ずる。
特攻隊や人間魚雷の青年は「咲いた花なら散るのが運命」と散って行ったわけです。「お父さん、お母さん、先立つ息子を許してください。祖国のため、あとに続くを信じて戦火に身を投げた」のです。「靖国でまた会おう」と散って行ったのです。それと、自爆テロとは異質のものだと思うのです。
ところが、イスラムのテレビでは、自爆テロの若者を英雄視した映像を繰り返し放送しているそうですし、彼らはあの世で幸せになれると信じているのです。もちろん祖国アフガニスタンを異教徒の侵略から守るという使命感もあります。
さらに、アメリカのテレビでは自爆テロと特攻隊を結びつけた映像を放映しているそうです。

こう考えると、自爆テロと特攻隊を異質のものと言い切る自信がなくなってきました。特攻隊は自爆テロだったのかぁ???
娘は最後に「どっちもばかだよ」と言い切りまいした。確かにばかですが、そう簡単に切り捨てられない気持ちも大きいです。

今日はちょっと思い話でした。感想をお願いします。

水曜日, 3月 12, 2008

帰国したらあっという間に日常

無事帰国しました。
たぶん新記録を樹立。1500に着陸、通関、荷物の受け取り、携帯電話の返却などして、民間駐車場で自分の車に乗ったのが1533、道がすいていて東大についたのが1630、シンポジウムが開かれていて遅ればせながらも参加、1830の最後のご挨拶には余裕で間に合いました。
シンポジウムの懇親会に出席。あっという間に日常生活になりました。

火曜日, 3月 11, 2008

アメリカ事情

火曜日のお昼ごろたつと日本には水曜日の夕方につくので、ブログも書きにくいです。
アメリカ旅行のまとめとして感じたことを書いて見ます。

まず景気。異口同音にエコノミーが悪くなったといいます。もちろん去年夏からのサブプライム問題を踏まえての感想です。パブルがはじけたときのような感覚ですね。少し浮かれすぎていたからいい薬だと思います。
次に政治。クリントンとオバマはもうおばまで決まりといった感じ。オバマとマケインはマケインがブッシュの後継者ということで、オバマで決まり。少数の友人の意見ですが、こういうことでした。ブッシュ父、クリントン夫、ブッシュ息子、クリントン妻という風に続いたら2家族でアメリカを牛耳ることになり、あまり好感をもたれていないようですね。 それと、戦争、とくにイラクとの戦争はもういやという感じがよくわかりました。
科学、これは研究費がほとんど増えないので、異口同音に厳しい時代といっています。これから先、いくつかの研究室は立ち行かなくなるのではないでしょうか?この国ではベンチャーを介して経済活動と科学が連携しており、経済が悪いと科学研究もつらいようです。
医学教育、これは日本も米国も同じ。科学的知識や、臨床技術のみならず、倫理や人間性、プロフェッショナリズムの教育が重要との認識は同じですが、どのようにしてこれらを教えたらよいのかというとこで、今多くの大学で試行錯誤の試みがされています。日本の臨床研修の必修化についても、米国では大きな実験のひとつととらえているようですね。
最後に自分の事。今回の旅行で多くの古い友人に会えました。20年以上前の留学時代を思い出すことができて本当によかったです。若返ったような気がします。英語がもっとできたらあの時代に戻ってもいいなぁと思います。あの時代から米国はそれほど進んでなく、日本が追いついたという感じでしょうか?システムや制度でなんら驚くことは無かったです。バームという小型PCにかわって、iPhoneというような携帯電話のちょっと大形のものが流行っていて、日本の携帯電話と機能を競っています。車のGPS(カーナビ)はちょうど導入が始まったところで今から爆発的に売れると思います。カーナビが和製英語であることが判明しました。
これから年に一度は米国に来て英気を養いたいですね。

月曜日, 3月 10, 2008

スタンフォード 第2のふるさと

オンラインアルバムを作成しました。 下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=p1KkfLyCLq

昨日着くのが遅かったので遅寝しました。大学の前のシェラトンホテル。
一泊200ドル以上です。それも、割引を使ってです。この当たり(ベイエリアとかシリコンバレーといいます)は全米でも最も高いところです。スタンフォード大学を中心におおくのIT企業や、ベンチャー企業がひしめき合って、世界の最先端を牽引している地域で、ビジネスマンが会社のお金で泊まるので高いです。
写真の青い空を見ていただけましたか。まさにカリフォルニアです。冬は朝晩を中心に雨模様になりますが、昼間は晴れることが多いです。今日の気温は最低が10℃、最高が20℃くらいですが、日向では25℃ありブレザーは要らないです。
スタンフォード大学は広さは農場や丘やゴルフ場など全部を含めると文京区ほどあり、キャンパスのある部分だけでも、東大の本郷・弥生地区の5倍はあると思います。
まずは、自分がゴルフを覚えたスタンフォードコルフクラブに行って写真を撮って、ウェアや帽子を購入しました。それからお昼のため小1時間ほどドライブして太平洋を望むハーフムーンベイのシーフードを食べに行きました。きれいなところです。
スタンフォードに戻って、昔の研究室を訪問。研究室は新しい建物に移動しており、すばらしいものでした。最近はオープンラボが流行っているようで、外から中が結構見えます。
前のボスは出張中で、共同研究者でもある奥さんにお会いできました。10年ぶり以上で、懐かしかったです。ともに歳をとったと思います。
大学の中は建築ラッシュ、研究費が無いと言いながらも医学部だけは新しい建物が建ち続けています。医学部は今年が創立100年のようですね。
夕方近くのベンチャー企業を見に行きました。友人がいるStemCell(日本語では幹細胞)という会社、それとGoogleの本社を訪問。普通の大企業は絶対に門の中に入れないと思うのですが、この会社はどこまでもオープンでどこまでも入っていけました。中にはにはビーチバレーのコートがあり、フィットネスクラブもあります。大学生のような若者ばかりが働いています。はじけるような勢いを感じます。ほりえもんのような金の亡者という発展でなく、知性と創造を競い合うような発展が日本でも見たいものですね。

日曜日, 3月 09, 2008

極寒の地から西海岸へ

今9日の午後5時過ぎです。日本時間JSTは10日の午前6時過ぎですね。PCの時計は旅行中正確にJSTを刻んでいます。実は今日の午前2時からサマータイムが始まりました。最近ではサマータイムと呼ばないで、Sunshine saving timeと呼ぶようです。エネルギーの節約にはいいでしょうね。ただ午前2時を午前3時にするという乱暴なやり方です。自分はみなさんに教えていただいたので大丈夫でしたが、情報に疎いと飛行機を乗り過ごしてしまいそうですね。

今日は、ホテルで一日過ごしました。町のハズレのホテルで歩いてはどこへもいけないし、マークをいつまでも煩わすのも悪いし、何より行きたい場所が無かったので、寝たりおきたり、メールを書いたりブログを書いたり、たまっている仕事をして寝不足を解消して、有効な半日でした。ホテルに迎えの車が415に来る予定が10分ほど遅れても、日本で無いので気を使います。本当に来るのか?もし来なかったらどのようにして空港に行こうか?乗り遅れたらどうしようか?余分なことを考えてしまいます。

いまデトロイト空港のスミスターミナル(古いほう)の待合です。約1時間20分待ちです。待ち時間の長いのに離れました。まして、インターネットが使えるとそれほど飽きないし、不自由しませんね。
チェックインカウンターもほぼ無人になっています。自分でパネルを押すのですが、よくわからないのでおじさんにお願いしたら、言語選択のところで日本語でなく英語にしたものでなおのこと分からなかったです。それからセキュリティゲート。まずボーディングチケットと顔写真のついた身分証明書の照合、そして靴を脱いで上着を脱いで時計をはずして、パソコンをかばんから出してゲートをくくります。今のところ3連勝です。

3時間かけてデンバーへ、そこで乗り換えて2時間半かけてサンフランシスコへ。時差の関係があって1900に出て2230に尽きますが、実際は6時間半かかります(含待ち時間)。米国は大きいですね。

土曜日, 3月 08, 2008

日本から友人がきたからといってホームパーティ

オンラインアルバムを 下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=w7vngKSEUJ

時差のせいか、マークの家で目覚めたのは6時、2度寝をしたらなんと9時でした。9時に居間にのこのこ降りて行ったらすぐに朝ご飯。ベランダの外は-10℃の世界。すぐ近くのクリーブランドでは冬の大嵐でテレビニュースで大騒ぎです。
少し落ち着いてから、犬のベアの散歩に付き合いました。マイナス10℃も、吹雪も10分も歩けばなれるもので、道を滑りながら楽しんで歩きました。周りは高級住宅街。それでもいろいろなお付き合いがあるようです。
午後は、家族のみなさんと、ダウンタウンにある古本屋の奥に飾ってある100年ほど前のインディアンの写真を見に行きました。結構面白かったです。サムライの写真を見ているような感覚です。
そのあと、ミシガン大学グッズの買い物、それから今夜のパーティの準備です。
日本から古い友人が来たというので近所の友人の一家2家族を招いてにわかホームパーティです。一緒にその準備をします。友人を招いたホームパーティが好きですね。日本はいつからこれほど人を家に呼ばなくなったのでしょうか?自分が小学校の頃は父親が酔っ払って飲み友達を3日と明けずに家に連れてきたものですが・・・これはホームパーティとはまったく別のものですが。狩猟民族と農耕民族の違いでしょうか?

みなさん急な話なのに快く一品を持ってきてくれました。
トルコ人のご夫婦、夫は歯科医、妻は60マイルも離れたランシングというところにある州立大学の生物研究者、子供が小さくまだ10歳の少年が一人。モーリシャスから来た奥さんのほうのご夫婦は、夫はミシガン大学医学部の情報関係の教授、奥さんは家庭にいるようです。息子が2人で、上は今上海で英語を教えている(1年の予定のボランティア)、下は19歳、コミュニティカレッジに通っている感じの良い青年です。
さすがパーティ慣れしています。料理は簡単です。野菜は、ご飯(野菜の範疇に入ります)、マッシュポテト(芋をゆでてつぶしただけ)、アスパラのゆでたもの、ミニキャベツのゆでたもの、お肉は豚肉を棍棒状に縛ってオーブンで焼いたものをちょっと厚めに切ったもの。これをテーブルの上で各人が自分の皿の上にとって食べます。最も時間をかけたのは、デザートで、洋ナシをワインと砂糖の中で1時間ほど煮たものです。美味しかったですね。
食後のあとのおしゃべりが長いです。7時からの予定が、7時半ごろからだらだらと飲みだして、8時ごろにようやく夕飯になり、9時ごろからデザートとコーヒーやお茶で11時半ごろまでおしゃべりが続きました。
自分のアフガニスタンの写真を見せたら本当に好評でした。いい仕事をしていると異口同音に褒めていただきました。
今日はホテルに泊まります。アンアーバーの町のハズレ、安いモーテルです。

金曜日, 3月 07, 2008

古い友人のマークに会いました

シカゴで3時間ほど待って、13時くらいの飛行機でデトロイトに移動。
シカゴ空港でははじめ乗り換えの飛行機はC1ゲートと表示してあったのに、乗る前に見たらF1に変更されていました。10分間での移動はもう大変でした。広い広いシカゴ空港を実感したしだいであります。

約1時間の飛行で到着。時差の関係で15時くらいになっていました。トランクを受け取ると大きくへこんでいて鍵がひとつ壊れそうでした。ここでもまたアメリカを実感です。
迎えの車に乗って国際交流センターへ、そこからせかされるように医学教育センターに移動しました。そこで4人の医学教育者と約1時間意見交換して、シュミレーションセンターを見学したのですが、なんとカメラを忘れてしまった。ものすごく残念です。

そのあと、スタンフォード時代の友人であるマーク・カミンスキー先生を訪問する。なんと20年ぶりくらいの再会です。病院の外来や病棟、講義室を一渡り案内してもらい、町の和食っぽいレストランで、奥さんと合流して夕食。そのあと、郊外の豪邸のご自宅に案内してもらい、泊めてもらうことに。デトロイトの大学に行っている一人娘のアンドレアも週末で戻ってきて、子供同様にかわいがっているベアというなの犬とともに楽しい団欒を過ごす。アフガニスタンやラオスの写真を見せる。みんなブッシュと戦争が嫌いで、僕らのやっている国際協力・貢献をリップサービスでなく本心から高く評価してくれました。

氷点下の吹雪の中で温かい家庭の夜は更けました。

オンラインアルバムを CANON iMAGE GATEWAY にて作成しました。 下記のURLからご覧ください。 http://www.imagegateway.net/a?i=ImKlNwV3r4

シカゴ

シカゴのオヘア空港のラウンジにいます。11時間かかって成田からシカゴに着きました。ここで3時間待って、ミシガン州のデトロイト空港に行き、そこからミシガン大学に行きます。
シカゴの今日の最低気温は-7℃、空から雪の平原が見えました。広い国です。

米国へ行きます。

今成田空港です。米国ミシガン大学を見に行きます。勝手気ままな視察旅行です。
米国はラオスより危ないと思います。久しぶりなので楽しみです。

木曜日, 3月 06, 2008

医学教育のグランドデザイン

記者会(プレスセンタービル)で講演しました。
医学教育のグランドデザインというタイトルでした。話の内容はたいしたことは無い(謙遜?)ですが、
何を話してもよいというので、タイトルからして大風呂敷を広げて日ごろ思うことを話しました。

今、日本に悪い医者は多いですか?日本の医学教育は悪いですか?医師不足が言われていますが、それは悪い医者が多いからでしょうか? というのが導入です。
本当に日本の医療が悪かったら世界一の長寿にはならないでしょう。女性の平均寿命は85歳を超えたようです。

医師不足はきっとほしい医療と、提供したい医療がずれているからでは無いでしょうか?医師不足が言われている田舎では、高度医療がほしいのではなくお年寄りの面倒を見てくれる介護に近い医療や社会的な入院が求められています。自分の親が病気になったときは本当にそう思いました。
一方、医学界のほうは、高度医療をしたいし最先端の技術を身につけたい若者が多いです。それに、自分の家庭や自分の時間などももちたいと思っているでしょうし、また子供を田舎の分校よりも都会の進学校に入れたいと思っています。
このギャップが医師不足感をもたらしています。解決策は、中高年の医師を地方に行かせる方策を考えましょうというものです。いい考えだと思うのですが・・・

記者の人から、アメリカのように医学部に進学する人は4年生の普通の大学を卒業してから進学するようにしたら(メディカルスクール構想)が言われました。自分はそううまくいかないと思っています。教養、リベラルアーツを教えることのできる大学が日本にはほとんど無いように思います。一般の大学が医学部予備校になりそうです。

いろいろ勝手にしゃべった講演会でした。

水曜日, 3月 05, 2008

研修病院の見学

岐阜は快晴でした。
思ったより近いところに金華山とその上の岐阜上が見え、その奥遠くに飛騨の山々の雪化粧が見える田園地帯。すぐそばには木曽川が流れています。岐阜県羽島郡笠松町にある600床あまりの民間病院の研修病院としての機能評価に行ってきました。
サーベイヤーの団長は初めてで、ちょっと責任を感じます。
採用されている研修医は一学年4人で合計8名。病院中で大切に育ててゆこうという姿勢が見えます。研修修了者の過半数がそのままこの病院に残っています。研修医の満足度も高いです。

しいて問題点を探すなら、大切に育てられすぎていること。すべての後位について上級医の認証が必要で、退院サマリーも研修医は書かせてもらえません。学生実習の延長のようなところがあります。

朝、7時過ぎに名古屋駅前のホテルを出て、名鉄で約40分、吸光で岐阜のひとつ手前の笠松でおり、単線の羽島線に乗り換え西笠松へ。そこから歩くこと20分、田んぼの中に聳え立っていました。
病院の売りは、救急車は絶対に断らないこと。このご時勢に、がんばっていますね。

視察の最後に研修医と面談、これが一番の楽しみです。若人のエネルギーをもらうことができます。大きな夢があっていいですね。

帰り道、名古屋駅で長ーい行列を見ました。何の行列だと思いますか?なんと赤福もちを待っているのです。おいしいものですが、行列を作るほどではないと思います。

今年行った県が1県増えました。1神奈川(自宅) 2東京(職場) 3千葉(ゴルフ) 4栃木(自治医科大学) 5群馬(群馬大学) 6三重(鳥羽市、神島) 7愛知(名古屋) 8沖縄(那覇の県立病院) 9埼玉(和光市、健康科学院) 10鹿児島(大学) 11岐阜(羽島郡)
海外は、これは通過も含めて 1ラオス社会主義共和国 2タイ王国

火曜日, 3月 04, 2008

それなりに忙しく

久しぶりの外来です。2回続けて火曜日を休診したので多くの患者さんが来ました。
ご迷惑をかけてすいません。
外来終了後、厚生省の会議に出て、また病院に戻って研修センター運営委員会。
そして、8時ごろの新幹線で名古屋に移動。名古屋に宿泊して、明日に備えます。

月曜日, 3月 03, 2008

将棋界の一番長い日

将棋のプロの棋士は、名人を頂点にリーグ戦をしています。

一番上がA級という10人の棋士で総当り戦を一年かけて戦い、トップのものが4月から始まる名人戦の挑戦者になれます。成績の悪いもの2人は次の年、下のランクになります。
A級の下が、B1クラス13人で、一年かけて総当りです。上2人がAクラスに上がれ、下2人は下のクラスに行きます。B1の下がB2で22人、その下がC1で30人、一番下のクラスが、C2で45人います。B2以下は一年で10局戦い、成績のよいもの2-3人が上のクラスにいくシステムです。このシステムの強いところは、相撲のように8勝7敗を続けていれば番付が上がるのではなく、そのクラスで、10勝とか9勝1敗とかずば抜けた成績を出さないと上に上がれないところです。

C2になると4段になり、4段からプロ棋士です。3段までは養成機関にいる研修生です。毎年4人が4段になれます。C1が5段、B2が6段、B1が7段、そしてAが8段です。段位はクラスが落ちても下がらないです。したがって、そのときの実力はどのクラスに属しているかで判定でき、段位では判定できないです。

将棋界の一番長い日というのは、A級の最終局(9回戦目)のことです。対局は午前10時に始まり、各々持ち時間が6時間あり、昼食や夕食を食べるので、終わるのは深夜の12時とか1時になります。

NHK BS2で長時間の中継がされます。今日が、今年の将棋界の一番長い日でした。名人挑戦者になったのは羽生善治さん、もう有名ですよね。名人も4年経験しています。因みに今の名人は森内俊之さんです。

そして、今年降級しそうな人に、いつも北村 聖が応援している佐藤康光棋聖がいました。今年は調子が悪く、6連敗し、ようやくここ2局に勝って、現在2勝6敗。今日負けると降級する恐れがあります。降級すると名誉もそうですが、収入もほほ半減します。

結果から言うと佐藤さんはしぶとく、勝ちました。残留決定です。終局は1時26分。12時からの1時間あまりは見ているほうも胃が痛くなるような戦いでした。
体を揺らしたり、頭をかきむしったり、扇子をいじったり、本当に「脳みそが汗をかいている」状況が伝わってきます。言ってみれば、脳みそのマラソン大会ですね。羽生さんが何かのときに言っていました、「これ以上考えるともうこの世には戻って来れないところまで考えることがある」と。

人間が究極まで頭を使うとこうなるのかと思うようなシーンでした。凄かったです。北村 聖もたまにはそこまで頭を使ってみたいです。

日曜日, 3月 02, 2008

建築の発表会

労災病院研修指導者講習会最終日
もう3日目なので、みなさんお疲れです。慈恵医大の古谷先生のポートフォリオ評価の講演はひょかったです.ポートフォリオ評価というのは、行ってみればバインダー評価といえるようなもので、自分の書いたものや読んだものを全て綴じ込みそれを媒体に指導者が指導するというものです。

お昼ごろ修了。その後、東大の安田講堂であった東大・東工大・東京芸大合同建築学科卒業制作発表会を見に行きました。各校4人、合計12人が発表しました。わが娘も結構まともに発表していました。グランプリではなかったですが、5人の個人賞のひとつをいただきました。医学界と違って、建築ではマックが主流で動画を使った発表が多いです。科学的というより、芸術的な発表で結構楽しめます。

夜は、日の出桟橋のコンチネンタルホテルで、インドネシアとアフガニスタンから来ている先生方と会食。インドネシアから来ているチアス先生は優秀です。日本の適応も早いです。それに比べ、アフガニスタンの先生方は頭が固く適応能力は超低いです。

隠して日曜日もいろいろあって忙しく過ぎてゆきました。

土曜日, 3月 01, 2008

指導医講習会2日目

指導医講習会はワークショップという形式で行われています。
問題提示のための全員でのレクチャー15分くらいに引き続いて、7-10人のグループに分かれて討議と解決案のとりまとめなどを60-90分くらいします。グループ討議では傍観者でいることはで傷自分の意見を求められ、他のメンバーの意見に対する応答も求められます。参加者であるためには頭をものすごく回転させてよりよい意見を言う必要があり疲れます。
そして全大会でグループごとの発表を30分くらいして1サイクルです。
今日はこれが3サイクルありました。
その間に、慶応大学の杉本なおみ先生のコミュニケーション学の講義というか実習があり疲れました。コミュニケーション学をアメリカで修めてきた博士で、本当に面白くためになる実習です。

今日の夜は飲み明かすぞーの意見交換会。12時でお開きになりました。