日曜日, 8月 31, 2008

夕日

新潟県の瀬波温泉というところに夕日を見に行きました。
幸いそこそこの天気で雲の合間から夕日を見ることができました。
 
 


最後の赤い夕焼けもよかったです。
瀬波温泉は海岸に面した温泉で、90度近くの高温の温泉が豊富に出ます。
今は村上市に編入されています。村上は、三面川(みおもてがわ)が流れ、鮭が遡上する川で有名です。
鮭を干して、燻製にして食べます。スライスをお酒に浸して食べることから酒びたしといいます。

村上の干し方は独特で、城下町で首吊りはよくないということで尻尾を上にして干します。
また、切腹もよくないということで、おなかは完全には切り開かないようにします。

お昼に鮭尽くしの膳をいただきました。左上は氷頭といって鮭の頭の軟骨の酢の物です。
真ん中が酒びたし。
そのほか村上は村上牛で有名で、本当においしいです。米沢牛を超えているかもしれません。

土曜日, 8月 30, 2008

看護の教科書

看護師さん向けの教科書を作っています。多くの執筆者が分担して作るのですが、自分の分がなかなかはかどりません。苦肉の策として、口述筆記することとなりました。
朝9時から3時ごろまで、授業をするような感じで、録音機に向かってしゃべります。しゃべりにくいので、学生役に編集の方がいてくれて、適当に相槌を打ってくれました。
もちろんこれだけではすまないので、執筆する分もあります。

医師は全国で1学年8千人くらいですが、看護師は5万人くらいです。いろいろな教科書がありますが、最もよいものを作りたいと思っています。若い女性たちに名前が売れるかもしれません(^_^.)

金曜日, 8月 29, 2008

研修病院評価

昨晩、つくば市に移動し、今朝早くから、筑波大学付属病院の研修病院としての機能評価に参加してきました。本当の評価者は別に3人おられるのですが、それ以外のオブザーバーとして全体を見通す役で参加してきました。
筑波大学には前野先生という研修に熱心に取り組んでおられる先生がいて、非常に高い評価でした。もちろん、細かい点でいろいろぼろは出ましたが、全体的には国立大学では一流の評価でしょう。自分は審査する立場での参加でしたが、実際は自分の大学の問題点、改善点がよく見えるようになったという効果がありました。

その後急いで東京に戻り、午後6時から、千葉桜の里のメンバーによる「しばらく会」の飲み会に参加。しばらく会は芝楽会でもいいしおひさしぶりぃのしばらく会でもいいです。第5日曜日にゴルフ大会があります。今月は欠席ですが、飲み会だけは参加です。お刺身やかぶと焼きがおいしかったです。

木曜日, 8月 28, 2008

個人情報保護と医療

今日も午前中は厚生労働省。午後は日本医師会の生命倫理懇談会。

この会には今年からの参加ですが、第1回の会合で日本医師会長から諮問がありました。

「高度情報化社会における生命倫理」です。

このことについて2年後に報告書を提出します。いろいろ議論することはあると思いますが、個人情報保護と医療ということがひとつの論点になると思います。個人情報保護法ができて以来、みんな過敏に反応して医療現場が混乱しています。

外来では患者さんの名前をマイクで呼んではいけないとか、入院の病室の入り口に患者の名前を掲示してはいけないなどがあります。これでは医療事故の原因にもなりかねません。


2020年、個人情報の保護の観点から日本人は名前を公の場所で呼んではならないことになりました。その代わり、ID番号で呼ぶことになりました。ID番号は病院のカルテや税金や年金なども共通しており便利との評判です。

「ねぇID2367ちゃん、あそぼ!」「ID5640ちゃんがいじめたぁー」

ところが、番号によっていじめられる事件が相次ぎました。

「ID4949は死ぬ死ぬだぁ」「ID0088はくるくるパー」「ID5656は雷の子だぁ」

この問題を解決するために政府はIDを2030年から自分の好きな番号を選ぶことができるようにしました。

人気ランキング1位ID7777、2位ID0001、3位ID1182(いい奴)。

ところが、同じような番号ばかりになり、番号間違えによる年金不払いや、税金の未徴収などがおき、番号制の廃止が検討されるようになりました。

2040年、日本政府は国民番号制を廃止し、漢字による姓と名前をつけることにしました。ただし、個人情報保護の観点から、本名とは違うもの(通称)をつけることとし、その対応表は市役所で厳重に管理されることとなりました。

「昨日、通称山田次郎さん本名不詳(46歳)が車にはねられました。」

そのうち、多くの人が日頃使っている通称は覚えているけれど本名のほうを忘れるようになりました。

本名で書かれているパスポートが誰のものかわからない事故が相次ぎました。

2050年、政府は、通称を本名にすると発表しました。これで、自分の本名を忘れることがないようになりました。こうなると、殆ど1990年代の日本と同じになりました。


以上、近未来的ショートショートでした。

教訓:みんなが使わない名前は付けないのと同じ。名前はほかの人に呼んでもらって始めて意味がある。

水曜日, 8月 27, 2008

ペシャワール会

今日も午前中は厚生省。午後は外の会議や病院の会議が立て続け。

アフガニスタンの伊藤和也さんのことで、本当に心を痛めています。
ペシャワール会の中村哲先生には大学で講演していただいたことがあります。直接的ではありませんが、われわれの活動も中村先生たちの高い志を見ながらはじめたようなものです。
伊藤さんはじめペシャワール会の人たちは地元の住民にも溶け込んでいて、一番安全であろうと信じていました。最も過激な分子とはいえ、外国人と見たら殺害するというような状況になれば、また一歩アフガニスタンの復興は遅れます。悲しいです。
アフガニスタンには銃を携えて、平和を維持しようというのはやめたほうがいいです。銃には銃で対抗します。平和は平和を愛する人で作り上げていかなければいけないと思います。
伊藤さんのご冥福を祈りたいと思います。
合掌

火曜日, 8月 26, 2008

北京の総括

午前中厚生労働省、午後は外来。

オリンピック熱も急速に冷めてきましたが、まとめの続き。

獲得メダル数はいろいろなところで報道されているように中国がダントツでした。ただ、人口13億人の国ですので、当たり前といえばそうですね。ということで、人口当たりのメダル数、人口調整メダル数を考えてみましょう。

どこが一番と思いますか?

答えはジャマイカ。267万の人口で、金メダル6個です。日本の人口1億2千万にすると287個に相当します。その次のランクでは、オーストラリア、ニュージーランド、ノルウェー、グルジアあたりになります。日本の人口であれば80-90個獲得したことになります。オーストラリア、ニュージーランドあたりはスポーツする環境がよさそうですね。広い空間、のびのびとした生活スタイル、楽園といったムードがあります。アジアでは韓国ががんばっています。実数16個の金メダルは日本の人口に換算すると34個の金メダルに相当します。理由は、目の前に兵役免除などのニンジンがぶら下がっていたためでしょう。北朝鮮は、アスリートが兵隊に居なくなって喜ぶかもしれません。お家芸テコンドーで大量のメダル獲得も大きかったようです。日本のときに柔道、ソウルのときにテコンドーが正式競技になっていて、北京では武術を正式競技にしたかったようですがかなわなかったです。日本の柔道は、世界のJUDOに完敗しました。

日本の金メダル9個は人口当たりで見ると、中国とブラジルに勝っている位で、寂しい位置にあります。ハングリー精神の欠如、サッカーや野球に見られる根拠なき自信というか甘えの構造がその原因と思います。とはいえ、それほどメダル数にこだわらなくてもいいではないかという気持ちが強いですね。

以上の参考資料:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3984.html

それより、9個の金メダルのうち7個までがアテネからの連覇、新しいのは2個、柔道の石井君と女子ソフト。ロンドン大会では女子ソフトは外れるので、メダルの獲得数が激減しそうです。若いスターの誕生が期待されますね。

後日談:中国の飛び込みの郭晶晶は美しいといったら、秘書さんがあの子は性格が非常に悪いからやめたほうがいいとの情報をくれました。他の選手の悪口を言いふらすそうです。ということで、推薦からはずします。

月曜日, 8月 25, 2008

若い娘2人の会話

関西空港からの岐路、羽田でモノレールに乗ろうとしたら、後ろから「いらっしゃいませ」という声。振り向くと、20前後の茶髪のお姉さん2人が、発声練習をしていました。

「8大接待用語って知ってるぅ?」「いらっしゃいませとありがとうございましたと、後なんだっけ?」

お店のマニュアルを覚えるのも大変だねぇという感じと、8大用語で接待されたくはないなぁという気持ちでした。

因みに後で調べると「8大接待用語」ではなく「接遇8大用語」あるいは「接客用語」でした。接待と接遇と接客ではちょっと違います。
○いらっしゃいませ

○いつもお世話になります

○はいっ!かしこまりました

○少々お待ち下さい

○お待たせいたしました

○恐れ入りますが

○申し訳ございません

○有難うございました
こんな言葉、8大用語とか何とか言って覚えないとしゃべれんのかぁ?

モノレールが浜松町についてプラットホームに降り立つと、むっとした暑さ。彼女たち2人同時に「暑っえ!」。直情径行型人間の典型ですね。思った瞬間に口に出しています。

それから、社内に少女マンガのキャラを使ったマスカラのCM。コピーが「天まで届け!マスカラ」こちらの目が点になりました。

日曜日, 8月 24, 2008

北京オリンピック

オリンピックが終わりました。閉会式も見るほうには冗長で、聖火が消えてレスキュー隊のタワーの演技が終わったあたりで寝てしまいました。
まったくの独断で北京オリンピックを総括してみます。

概論:日本の金9個は立派ですが、7個までが連覇で、新しいのは柔道の石井選手と女子ソフトボールだけ。世代交代が日本の最大の課題ですね。
感動:一番は浜口京子の笑顔。アテネのときはまぶたを内出血した悲惨な顔で、銅メダルを取ったというより負けたぁという感じでしたが、今回は、心底、うれしそうでした。美しい笑顔でした。2番は、女子ソフトの上野投手かな。2日間で400球以上の熱闘。いい根性しているよね。スポーツの真髄は疲れきってから本当の実力が出ます。ボート部のとき、鬼キャプテンが、つかれきってもう動けない状態になってから「さぁこれからが本当の練習だぁー」といっていたのを思い出しました。3番は谷本歩美選手の一本勝ちにこだわった勝負ですね。世界柔道の動向が、有効や効果を積み重ねていくような方向にあっても、柔らの美学を押し通す根性がいいですね。

負けても感動:一番はなでしこジャパン、特に澤選手がよかったです。逆転や奇跡の同点などよく勝ち上がってきたと思います。いい根性です。2番は男子マラソンの佐藤選手。会津魂でビリでも堂々と完走しました。中途棄権の女子マラソンの土佐礼子選手はもうだめぇーと倒れこんだのが彼の腕の中ということでそれなりに幸せだったでしょうね。3番はバトミントンの前田、末綱コンビ。オグシオの影で目立たなかったけれども第1シードを下したのは立派でした。

美人:1番は飛び込みの郭晶晶、ぬれた髪が湯上りのようで色っぽいです。2番は棒高跳びのイシンバエワ。長い足、くびれたウエスト。素敵です。3番は柔道の最も重いクラスで負けた塚田真希。泣き顔が女らしかったです。もちろん女子バレーの皆さんもかわいかったです。ビーチバレーは見る機会がなかったです。体操や新体操は、皆さん子供で、上海雑技団に売り飛ばされた貧農の娘のイメージでした。

情けない:1番は男子サッカー、2番は野球。日本男児は情けないです。日本選手団長が言っていましたが、スター選手を集めてチョコチョコと練習しただけで勝てるなどまったくをもって甘い考えでした。野球優勝の韓国はメダルを取ると兵役免除でした。野口みずきもオーバーワークでつぶれてしまいました。チーム野口の敗北ですね。

番外編:

○北島の優勝を聞いてコメントを求められたイチロー「君は魚類か」

○銅メダルの浜口京子に声をかけた父アニマル浜口の最初の言葉「ロンドンが待っている!」

○男子400mリレーで銅メダルの朝原宣治に妻奥野史子が「最高のパパです。200%の夫です。」家族愛というのはいいものですね。

○中国シンクロナイズの井村監督「日本を倒しましたね?」という質問に声を荒げて「そういう考え方はおかしい。みんなで力を尽くして進歩していく、オリンピックとはそういうものでしょう。」

○男子マラソン優勝のワンジル「我慢することを教えられました。我慢、我慢」今の日本人は我慢することをしらなすぎます。自分を含めて反省。

皆さんの感動をメールで教えてください。

土曜日, 8月 23, 2008

研修医採用試験第2日目

研修医採用試験の第2回目。前回よりやや少なく約100名の大学6年生が、午前中、筆記試験、午後面接試験を受けました。
今回も先週と同様、新しいプログラムの説明などをおこない、何とか大学に研修医を呼び戻そうとういう動きに同調しました。
午後の面接を終わった学生たちに、ぜひ東大をマッチングでは上位に書いてくださいとお願いするのに疲れました。たぶん土壇場のお願いなど役には立たず、おそらくそれまでの学生実習などでの対応で東大病院の研修病院としての評価が決まってくるのだろうと思います。まぁ、日ごろの態度が見られているということですね。
夕方、関西に移動 和風創作料理をいただきましたが、普通の和食でした。
因みに、最近創作料理というのが結構流行っていますが、あたりはずれがあると思います。どちらかというとはずれのほうが多いように思います。ステーキにホワイトソースをかけたり、牛肉のたたきのお寿司とかみんな外れでした。その点、今日は何気に創作料理を避け、伝統に裏打ちされた正統刺身でおいしかったです。

金曜日, 8月 22, 2008

女性医師

佐賀大医学部(佐賀医科大学が佐賀大と合併した)のFuculty Devel0pment(FD;教員教育)の研修会に出席しました。統一テーマは「キャリアデザインをどう教えるか?」。キャリアデザインといえばいわば人生設計のことですね。最近はモラトリアム人間が多く、自分探しとか言ってなかなか自分で自分の人生を決めれない若者が多いようです。医者の卵たちもそうで、どんな医者になろうか(臨床医か、企組の研究者か、何科か、病院か開業かなど)自分で決めれないようです。そこで大学の教員が支援しましょうという時代です。
午前中は、講演会で3人の演者が話しました。自分と、佐賀県知事と、医科歯科大学看護部の教授の井上智子先生。自分は医師のキャリアデザインについて、知事は県職員として働く医師の募集について(佐賀県のHPに載っているそうです)、井上先生は専門看護師について。癌専門看護師などがいるそうです。日本中で200人くらいだそうです。看護まで専門看護師が必要なのか疑問に思いますよね。

午後はグループに分かれて議論されました。いろいろな面で多くの提案がなされました。高校への出前講義とか、教養教育の改革などなどです。
今日は、このブログでは珍しく、まじめに女性医師の問題を取り上げます。(長くなりそうな予感、最近は女医といわずに女性医師というようです。その違いは知りません。女医が差別用語というわけではないと思うのですが・・・)

現状分析;今は女性医師の割合は20%未満ですが、国家試験受験者を見ると30%を超えており、ますます増えています。近い将来には総数でも30%を超え、学生レベルでは50%近くになるのではないかといわれています。
医師不足に関連して、女性医師は妊娠出産、育児などで離職したり、フルタイムでは働けなかったりするため、女性医師が多くなると医師不足感が強くなるといわれています。それに対して、行政などは、託児所の整備などを行っていますが、なかなか効果がないようです。新しい試みとして、短時間労働の正規職員制度や、ワーキングシェアにより例えば2人の女性医師がペアになって、当直や宿直など一人前の仕事をするなど行われているようですが、効果は未確定です。

議論では、妊娠出産育児で家庭に入った女性を、如何に復職させるか、復職支援としてどのような対策が考えられるかが話題の中心になりました。単なる託児所でなく、病児保育とかです。でも、大学病院への復職はつらそうです。最後は「君を医者にするのにどれだけの国費が使われているか考えてみたまえ」などといった恫喝もどきの発言もありました。
自分の意見と発言は、まず女性が復職したいかどうかと言う原点に戻って考えましょう。子供の寝顔だけしか見ない母親にはなりたくない、子供が小さいうちは働きたくないといった女性がいたら、それはそれで彼女の価値観を認めるべきでしょう、復職支援は復職したい女性医師に向けられるもので、復職したくない医師の自由も大切にしましょうというものでした。ブログに書くと当たり前のことに思いますが、100人近くが女性医師の復職に燃えている場で発言するにはちょっと勇気が要りました。参加者の女性は、男勝りで仕事をされている女性医師が多かったです。

佐賀のお土産は羊羹と、マールボーロー(そばボーローみたいなもの)が有名だそうです。それとムツゴロウの佃煮。畑正憲先生ではなく本物のムツゴロウです。目が大きい分、見るからにグロテスクですが、ドジョウに似た上品な味がします。おなかは超苦いです。

木曜日, 8月 21, 2008

嵐の空港

一日厚生省で会議。1820発の飛行機に乗るため、羽田に1730ごろつき、1800に搭乗開始。

そのとき、低くて真っ黒な雲が西のほうから近づいてきて、いやな予感がありました。搭乗して、落ち着いたら機内アナウンスで、羽田が集中豪雨と強風のため出発できないとのこと。

約1時間、バケツをひっくり返したような雨と、飛行機が揺れるような強風。30分ほどして、外部との連絡のため、短時間携帯電話の使用が許可されました。宿泊予定のホテルに電話して遅れると伝えました。やや小降りになった1930ごろ、ついに嵐の中を離陸。思ったほどはゆれませんでしたが、1,2度すーっと落ちる感じで、気持ちよくはなかったです。

2115ごろ、佐賀に到着。佐賀医大の総合医学の教授が待っていていただき恐縮。一緒に佐賀和牛の焼肉へ。ありがたかったです。

水曜日, 8月 20, 2008

小金井カントリー倶楽部


今月二回目の平日ゴルフ。場所は名門中の名門、小金井カントリー倶楽部。中央線小金井駅から5分くらいの住宅街にある老舗(昭和12年開業)ゴルフクラブです。住宅街とは思えないような広々としたコースと静寂と木々でやはりいいコースです。
問題はお値段です。プレー費は他のゴルフコースと変わりないです。会員権です。バブルの頃は2億とも3億とも言われ、今でも5千万円近くします。したがって、会員は大きな会社の創業社長という感じの方々ばかりです。政治家は少ないように思いました。医師も少ないのではないでしょうか。商工会のゴルフクラブといったところでしょうか。
 
ほかの名門といえば、埼玉県では東京ゴルフ倶楽部と霞ヶ関ゴルフ倶楽部。前者のほうがステータスが高いようで、医師も多いです。後者は政治家が多いのではないでしょうか?かつては女性がプレーできなかったのですが今はどうでしょうか?千葉では鷹の台ゴルフクラブですね。
いずれも松林でセパレートされており、グリーンは砲台グリーンというのが多いです。
真夏は、名門のメンバーは避暑地にいっている人が多いそうでめちゃ空いていました。2時前に終わり3時半には大学で仕事を始めれました。
スコアは52・51の103 今回は本当に弁解しません。自分が下手なだけです。ただ最後18番ロングホールはすべてがよくて、バーディ逃しのOKパー。気分良く終われました。

火曜日, 8月 19, 2008

うにといくらといか

午前中は厚生労働省。午後は外来。その後会議が続いて一日が終わり。
つまらない一日と思ったら、自宅にお中元で、うにといくらといか(雲丹、イクラ、烏賊)が届いており、手巻き寿司の大宴会。酒は新潟の純米大吟醸。
一日の評価も「終わりよければすべて良し」

月曜日, 8月 18, 2008

卒業アルバム

午前中は厚生省に、午後はH大学診療所。
友人から高校の卒業アルバムをファイルでいただきました。 
どれが自分かわかりますか?
みんな詰襟の制服で、さすが進学校の雰囲気が出ていると思います。
この頃は写真が嫌いで、中学から大学前半まで集合写真は常に端っこに写っています。
今となっては探すのが便利でいいですが・・・
自分の隣は、浜口君。今は読売新聞のIT部門の責任者じゃないかなぁ。
二人で、文芸部を作って、小説や詩を書いていました。自信家で、いつも前を走っていました。だからずっこけるのも一番先でした。
その隣は徳野君。テニスがうまくて、田舎では都会派の感じがしていました。うちの大学で西方に旅立ちました。女は美人薄命といいますが、男は善人薄命です。自分は当然長生きの部類です。
この写真を見ていて思ったこと;
お金で買えるなら、若さを買いたい。20代の自分を買いたいです。でも、18に戻るのは辛いかもしれないです。

日曜日, 8月 17, 2008

ゴルフ

佐原GCでゴルフ。カメラを忘れたので今日は写真はなしです。
朝から雨、それに気温も上がらず、21℃くらいで肌寒かったです。
成績は、48と55で103.最悪の成績です。弁解はしません。弁解は勇者のすることではないです。
とはいえ一言いうならば、
○予想外の雨であったこと。
○最初のうちは良かったですが、しばらくすると、ダイエットの影響か筋力の低下が露呈したこと。
○最大の理由は、あまりに多くのお客を入れすぎたため、午後になると各ホールごと3組近くが待っていて、やる気をなくしたこと。
15分ごとに一振りするのでは、ゴルフになりません。ゴルフをアメリカで覚えたので、前の組を待つというのは殆ど経験しませんでした。それに日ごろ割りに忙しい思いをしているので、10分も15分も無駄話をして待っていると人生の無駄遣いのように思えてゴルフをしていることに罪悪感を感じます。
ゴルフそのものが時間とお金の無駄遣いかなぁという感じですね。
早々に帰って、自棄酒飲んで、オリンピックを見て、ふて寝しました。
ただし、自棄酒でも、焼尻島の蛸とモズクがあればお酒はおいしいです。それに浜口京子の銅メダルでもあの笑顔。あの笑顔で機嫌もやや治り気持ちよいふて寝でした。

土曜日, 8月 16, 2008

研修医採用試験

今日は医学部付属病院の研修医の採用試験。
今週と来週の土曜日に行います。志願者はどちらかを受験すればよいという仕組みです。
午前中は、筆記試験。カルテの要約を書いたり、膨大な量の論文を要約したりする問題です。大変な集中力と効率よい問題解決能力が要求されます。
午後は面接。2人の面接官の前で、12分間の口頭試問。もちろん医学的なことではなく、医師としてのやる気とか倫理観などが問われます。なかなか差がつきにくいですが、倫理的に問題のある人を除外することができれば幸いと思っています。そのための面接官の労力は大変なものです。
今年度から、内科と外科と、産婦人科、小児科の特別プログラムを作成し、専門医への道を歩みだしやすくしました。本来の初期臨床研修の理念と相反しそうな気もしますが、厚生省が政治の要望にこたえたためか、8月になってからこのようなプログラムを作りなさいという通知が来ました。これによりどれくらい大学に研修医が残り、大学の医局が地方の病院に医師を派遣できるようになるかはまったく不明です。
面接試験では学生の答えがそれほどマニュアル化していなくて良かったです。
医師くらい個性豊かな医師がいてもいいと思います。マニュアル人間はハンバーガーやさんとコンビにだけで充分です。

金曜日, 8月 15, 2008

学士入学

新潟大学の臨床技能試験のモニターに行ってきました。
新潟大学では、5名の学士入学者を採用しています。どこかの大学を卒業した人が対象で、合格すると医学科の3年生に編入されます。4年間の勉強で医師になれます。
新潟大学では、4年間では教育期間が少ないと思ったのか、この5名に関しては5年生までの3年間、他の学生とは別のカリキュラムで教えています。だから、5人のためだけに全ての講義がされ、5人のためだけに実習が組まれています。教育負担は大変なものだろうと推定されますが、あまり声をあげる人がいないせいか、続いています。
が、来年ついに廃止されることになりました。2年次編入にして、他の学生と同じカリキュラムで教育するのだそうです。
今日はその学士入学の5名の試験のために新潟に行ってきました。大変良くできていましたが、時間とエネルギーの無駄であったような気がします。医療面接では、模擬患者相手に愁訴とか家族歴などを聞いていきます。マックドナルドのマニュアルみたいで本意ではないですが、社会が望むようです。
今年行った府県が1県増え24 新潟(新潟大学)となりました。ようやく半数を超えました。

木曜日, 8月 14, 2008

メコン川氾濫

一日厚生労働省で缶詰の仕事でした。昼食どころか、夕食まであり、夜の9時までいました。何をしていたかは口が裂けてもいえませんが、よきに想像してやってください。
ラオスで、雨が降り続いており洪水だそうです。世界遺産のルアンババーンはもう水に浸かったそうで、首都ビエンチャンももうまもなく水があふれるそうです。15日か16日あたりがメコン川の最高水位になる予報だそうです。うちの助手の先生が今ラオスにいるので、状況を教えてくださいメールを送ったら写真が届きました。
土嚢をつめる住民、のんびりしています。
積んだ土嚢の上で一服。
今にもあふれそうなメコン川
 こんなときに大宴会。日本人は3人

水曜日, 8月 13, 2008

富士ゴルフコース

 1番ミドルホール
お盆の帰省ラッシュのピークでした。昨日のうちに、三島まで移動してそこで友人と落ち合って、今日は山中湖湖畔にある富士ゴルフコースに行って来ました。昭和10年開業の、老舗中の老舗、名門中の名門です。
実は、先輩の先生に山中湖に別荘のある先生がたまたま2人いて、毎年この時期、ここでのゴルフに誘ってもらっています。スコアは、43・48の91、まずまずです。


前半は絶好調で、パーが5つもありましたが、大叩きのホールもありこのスコアでした。「お友達」という名前の一種の賭けもしましたが、+50くらいの大勝ちでした。(5000円に相当します)
後半はOB連発で、それに相手がイーグルまで出して-80くらいの大敗。合わせて3000円の敗退。くやしぃー
日ごろからゴルフはスポーツで、賭け事ではないといっている手前、取り返すのは来年になりそうです。
このコースは標高1200mくらいにあり、明らかにボールが遠くに飛びます。それが気持ちよかったです。
賭けゴルフのことやゴルフ用語がわからない場合はメールで問い合わせて下さいませ。

火曜日, 8月 12, 2008

魅力ある大学院教育

本来は外来があるため大学を離れることのできない日なのですが、文部省の用事で一日中、外でした。
日本の大学院の教育をどう感じますか?
ある研究室に属して、そこのプロジェクトに従事して博士論文を書くというのが主な活動です。それなりに研究者としての自力は付くのですが、学問の幅は広がりません。欧米と違って日本の大学院卒業生は、いわれたことはちゃんとやるが、自分のアイデアで研究ができないといわれるゆえんです。
ということで、文部省は大学院教育に特徴的な取り組みをする大学を支援することにして、結構な額の資金を供与しています。
今日は、その選考委員会です。応募の大学の学長や大学院担当教員から、特徴的な取り組みについてヒアリングをしました。どこもそれなりの立派な計画で甲乙つけられませんでした。結局7時ごろまで悪戦苦闘でした。
大学院を卒業して医学博士になったら、さすが医学博士といわれるような立派な研究者になるような教育を期待したいです。

月曜日, 8月 11, 2008

朝から

朝8時から、病院内で、新しい研修プログラムの作成のための会議。
院長、副院長、看護部長、その他重鎮10名近く定刻に集まりました。自分は司会のため、また資料の確認のため、7時に来て730から指示だし、資料作成の大活躍。無事に会議が1時間で終わり、9時からちょっとだけ外来をし、10時から、御茶ノ水の共用試験機構で、12月からの全国共通試験の問題の調整。これは会議でなく、問題に不備がないか3,4人の先生で、丹念に問題を読み合わせていきます。
これが夜まで続きました。
こうして大事な一日が過ぎていったのです。

日曜日, 8月 10, 2008

月例

千葉桜の里ゴルフクラブでBクラス月例大会。
 9番ホール

 15番ロングホール

かなり調子がいいので気合を入れていったのですが、10番ホールの朝の第1打がOB、後は気合の空回り。終わってみれば50・44の94と並みのスコアでした。後半ちょっとがんばり、5つパーがあり、それも4連続パーというのがありました。次回につながるうれしいお知らせです。

土曜日, 8月 09, 2008

焼尻島2

朝、島の旅館の窓から海が見えました。朝日に海面がきらきら光ってきれいです。
朝食のあと、焼尻島資料館を見学。かつて、わがふるさと石川県加賀市の漁師がここに住み着いて網元となり豪邸を立てたその跡だそうです。中に、絶滅の危機にあるオロロン鳥の剥製がありました。島に倭人が住み着いて今年がちょうど130年に当たるそうで、北海道の開墾よりもちょっとだけ早いように思います。
10時のフェリーで帰路に着きました。羽幌まで約35分。そこからレンタカーで、2時間30分ほどかかって旭川空港に着きました。
 焼尻港のオロロン鳥
 羽幌港のかもめ
 北海道から見た焼尻島(右)と天売島
 留萌の手前で見たニシンの番屋、石狩挽歌の世界です。
遅めの昼食はやはり北海海鮮丼。旭川ラーメンと選択に悩みましたが、ラーメンは冬に来たときにいただきましょう。15時の飛行機で、羽田についたのが1630.その足で横浜ロイヤルパークホテルで、かつて部下だった先生の教授就任祝賀会に出席しました。慎ましやかで、家庭的な会でした。
今年行った府県が1道1県増え、1神奈川(自宅) 2東京(職場) 3千葉(ゴルフ) 4栃木(自治医科大学) 5群馬(群馬大学) 6三重(鳥羽市、神島) 7愛知(名古屋) 8沖縄(那覇の県立病院) 9埼玉(和光市、健康科学院) 10鹿児島(大学) 11岐阜(羽島郡) 12茨城(筑波大) 13石川(実家) 14福井(永平寺) 15大阪、16京都 17愛媛(道後)、18静岡(伊東)、19福島(郡山)、20宮城(仙台)21和歌山(青州の里)22兵庫(マダムJゴルフクラブ)23北海道(焼尻島)となりました。海外は、ラオス、(タイ)、米国、中国、韓国 、インド、アフガニスタン

金曜日, 8月 08, 2008

焼尻島

朝、旭川で目覚め、レンタカーを借りて、830に旭川を出て、高速道路を北上し、名寄の手前の士別というところから今度は西に向かい、日本海側に出たところが、羽幌(はぼろ)という町。昔は炭鉱で栄えた町です。留萌(るもい)からこの羽幌までの日本海側の道をオロロン街道とか蛸えび街道とか言います。羽幌発1105の高速フェリーで焼尻島(やぎしりじま)へ。約35分の旅でした。ただこの船は高速船のため並みの上をはねるように進みます。そのためものすごい上下動で、着いたときは結構ふらふら。
気温は25度くらい、からっとしています。海はどこまでも青く、遠くに利尻島が見えます。焼尻島のすぐ横に天売島(てうりとう)という島があります。天売島にはオロロン鳥(うみがらす)が生息しています。といっても、もう5羽しか残っていませんが・・・
焼尻島は周囲12km、今日の人口316人。この島に、診療所があり、そこの貞本先生を取材にやってきました。
面会は1500からなので、まずは島に2軒しかない食堂の1軒で蛸さし定食をいただく。新鮮な蛸は噛むのに顎の力が要って結構疲れました。それから、2台しかないタクシーの一台を借りて、約1時間の島巡り。羊の牧場、おんこの森、生徒が14人、先生が14人の焼尻小中学校などを見学しました。15時から貞本先生にインタビュー。
先生は、北海道庁の医療職のトップで、道立の診療所や、保健所の医師の人事を担当していたそうですが、1年半前、どうしても人事が回らず、焼尻診療所が閉鎖の危機になったとき、自ら赴任されました。一応降格人事です。そんなこんなで、人口300人あまりの島の診療所の先生に、日本の医療のあり方、地域医療の崩壊を防ぐにはなどを伺いました。もちろん、島の生活の感想、愚痴などもお聞きしました。公衆衛生とか医療行政の専門家であり、その面では良い話を聞きましたが、島のことになると、人口の3分の2が65歳以上の老人で、言ってみれば15年後には人口は100人を切ってしまう島をどう救うのかは名案がなさそうです。
自然がいっぱいのいい島です。みんなで一緒に移住しましょう。
冬でもマイナス10度くらいでそれほど寒くないそうです。風は強く、1週間くらい船が出なくて寂しいことも多いそうです。インターネットは非常に遅いそうです。携帯は棒が3本立ちますが、ドコモとauだけで、ソフトバンクはだめみたいです。あとは写真で。
自分は、春に1週間ほど貞本先生の代診に来る約束をしました。
島で3軒しかない旅館の一軒に泊まり、焼酎を飲んで、五輪を見てたらと中で寝てしまいました。幸い開会式はだらしなく長くて、目が覚めたとき、ちょうど聖火の点火をしていました。どっかの前衛歌舞伎の受売りのような空中走行は子供だましのようでした。素直に地面を走って階段を駆け上がる東京五輪のほうが良かったです。
素敵な写真が取れました。下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=L9wkgLymTo

木曜日, 8月 07, 2008

 旭川のお刺身、なぜマグロ?
朝、大阪から戻り、面談や文部省の会議などに出席して、夕方今度は旭川に移動しました。
ところで、最近、耳の形をほめられました。ちょっと意外でうれしかったです。
自分の両親は共稼ぎだったため、子供の頃は母のおばさんにあたるおばあちゃんに育てられました(苗字が小滝なので、小滝のおばばが愛称です)。おばあちゃんは一人暮らしで、幼稚園や、小学校が終わるとおばあちゃんのうちに帰って、母が迎えに来るまで一緒にいました。幼稚園や小学校低学年はお昼ごろ終わったので、結構長い時間一緒にすごした気がします。外の遊びに熱中し、行方不明になることも多く、結構しかられました。井上靖の「しろばんば」という小説があり、おばあさんとの二人暮らしが良く書かれていますが、まさにあの暮らしでした。
小滝のおばばは、人の前では自分のことを結構ほめてくれました。とはいえ、結構やせた幼児でしたから、ほめるところも無かったのでしょうか、耳の形をほめてくれました。「この子の耳はいい形しているから、利口で、将来偉くなるよ」という感じです。自分では見えない部分で、結構恥ずかしかったですね。
長いこと耳の形なぞ思ってもいませんでしたが、ひょんなことでほめられて、小滝のおばばを懐かしく思い出しました。いまは、ひげをそるときもちょっと耳の形を意識しています。

水曜日, 8月 06, 2008

マダムJ

大阪で、正確にいうと兵庫県加東市でゴルフをしました。昨日の夜に東京から新大阪まで移動し、新大阪のビジネスホテルに一泊して、今日の朝迎えにきてもらってゴルフ場へ向かいました。ゴルフ場はMadam J golf clubという変な名前のゴルフ場です。6月に、女子プロゴルフのプロミスレディース杯という大会をするコースです。

メンバーは千葉桜の里で一緒の高世さんと山口さん。それに、チーティングプロの渡辺さん。かつて、渡辺さんが、千葉でプロゴルファーを目指して研修生をされていました。腕は問題なかったのですが、性格が優しすぎて残念ながらトーナメントプロにはなれませんでした。その後、関西のほうに戻り、ゴルフ練習所専属のティーチングプロになって、結婚もし、今1歳4ヶ月のお子さんもいます。ということで、年に一度、渡辺さんの教えを請いに、関西に出かけます。フルコースだと、1日目に一緒にラウンドし、2日目は渡辺さんの練習場で、横から、後ろからビデオを撮ったりして、悪いところを直してもらいます。が、今年は用事があって自分は第一日目だけの参加です。
 渡辺プロのスイング
マダムJゴルフクラブは本当にバブリーなゴルフ場です。クラブハウスは、バブル全盛の頃に良く流行った西洋のお城造り、大理石をふんだんに使っています。住み込み職員の部屋もお城のようです。一度破産したゴルフ場を、プロミスが買い取って再開発したようです(詳しいことは知りませんが・・・)。ただ、並みのバブリーなゴルフ場と違うのは、この時期でもコースの手入れが良く、殆ど夏枯れしていません。  バブリーです。18番のグリーン手前の池です。
 奥に見えるのが研修生の宿舎
結局スコアは51・48の99でしたが、初めてのコースで飛ばしやさんたちに付き合って後ろからしたことを考えれば、まずまずです。

火曜日, 8月 05, 2008

里親

すばらしい人に会いました。話はやや長いです。そして誰がすばらしいのかわかりますか?


高橋さんという方がご挨拶にこられました。30歳前後の背の高い美人です。JICA(旧国際協力事業団、現国際協力機構)の一員として2年数ヶ月アフガニスタンに滞在していました。最後の1年半くらいはわれわれの医学教育プロジェクト担当でした。医療職でなく、いってみれば事務担当で、お金の支払いや、面会のアポや、会議の設定など種々雑多なことを一人でやってくれました。われわれのプロジェクトが終了したので、帰国し、9月から米国のコロンビア大学(ニューヨーク)で教育政策学の修士課程に入るそうです。

アフガニスタンの思い出や、これからのことなどひとしきりお話して、「今はご自宅でお母さんに甘えているのでしょう?」といったら「いえいえ、今は子供が多くて大変です」とのご返事。それって何?

彼女は兄が独りいて二人兄弟です。その兄も、独立して家を出ています。それでお母さんのたっての希望で、里子を3人あづかっているそうです。一番上は19歳の男の子、両親がいなくて、ここ2年半、高橋家にいて今は高校を卒業して警備会社で働いているそうです。

もう一人は小学6年生の女の子、両親が離婚して、育てるはずの実のお母さんは犯罪を犯して今は服役中とのこと。最後の一人は、小学1年生で、両親がアル中で育てることができないとのこと。小学生二人は、7月から高橋家にいるそうです。自分は里親・里子制度に疎く初めて聞いたのですが、育てる期間は、原則、実の親が養育できるようになるまで。親がいないときや、育てることがずーっとできないときは18歳になるまで。とはいえ、18歳になったら本当の子供のように思うでしょうね。養育費は役所から出ますが、食事代をまかなえるかどうかという程度で、やはり実の子のように育てようとすると、習い事や塾など行かせたくなるので大幅な持ち出しだそうです。

この里子を引き受けるというのは、高橋さんのお母さんの長年の希望だったそうです。自分のお子さんが2人もいて、何でまた?と思いませんか?

そうたずねたら、「きっと母の母(おばあちゃん)の影響と思います」とのこと。おばあちゃんは子供が4人いて、長男は小さい頃に病死、次男は統合失調症だそうです。3男が跡取りで、女の子が高橋さんのお母さんというわけです。このおばあちゃんは、次男のためもあって、役所の助けを借りずに自分の手で統合失調症のためのグループホームを作って運営されていたのだそうです。統合失調症の人が5人-10人程度、一緒にすんで共同生活を学んだり、労働の真似事のようなものをします。その世話たるや大変なものです。

比べるのはナンセンスかもしれませんが、知恵遅れのグループホームのほうがはるかに楽です。幻覚や幻聴のあるものが一緒にいるとそれは大変です。暴力沙汰もきっと日常茶飯事でしょうね。そのようなおばあちゃんの姿を見てお母さんは育ち、里子を育てたいと思ったようです。高橋さん自身もおばあちゃん娘で、その影響か、国際協力をしたいと思ったそうです。

皆さん、すごいですね。奉公滅私という言葉がありますが、そうではなくて、皆さんほかの人のために生活することで、かえって自分らしい生活ができているように思います。滅私でなく、自分を生かしているのですね。
教育者の端くれとして、子供は環境で育つとは思いますが、でも遺伝子の部分も相当と思います。犯罪者の子供や、アル中患者の子供というと、やはりどうもひいてしまうと思うのですが、引き取って育てようとするのは、言葉がないくらいすごいです。
皆さん、良かったら感想を下さいませ。

月曜日, 8月 04, 2008

暑い

暑い、本当に暑いです。昼休みに恒例の靖国神社散歩30分コースを実行したら、シャツが汗だくになり、搾ると汗が滴り落ちるほどになりました。セブンイレブンに急行し、シャツを購入、着替えました。昼休みに外に出るのはきわめて危険ですね。
日本の暑さは、湿度が高いのが特徴です。カリフォルニアでは、暑いことを言ったら日本の上ですが、乾いているので過ごしやすいです。車に乗るとハンドルは熱くて持てませんが、木陰で風が吹くとすがすがしいです。スタンフォード大学のあるベイエリアは、夏でも夜は雨が降るので、すごしやすいです。
アフガニスタンのカブールの夏は、そこそこ熱くて空気が極めて乾いています。夏に握手したり、車に触ったりすると静電気がバチッと来ます。ものすごく埃っぽくて閉口します。

ジャカルタの夏は、といっても、あそこは季節がなく、いつも30-35℃で湿度が高く日本と似ています。ホテルや職場はクーラーがガンガンに効いていて、建物から出ない場合は快適です。それに引き換え日本の役所、特に厚生省(環境省も同居している)は最悪です。熱くてボーっとして仕事になりません。


いろいろなところで雷と豪雨があったようです。皆さん、おへそは隠しましょう。

日曜日, 8月 03, 2008

燃料高騰

この暑い中、佐原CCでゴルフをしました。49・46 95点。進歩がないです。
とはいえ、各々の前半は良いのですが最後の2ホールくらいに大たたきをしてスコアを崩しています。
持久力の低下があるようです。
 ほんの少しだけ夏枯れ気味になっています。
本当に暑かったです。日向にいたら、一瞬、幻暈がしました。汗で体重が1.5kg減少です。
ところで、異変がありました。
例年、この時期、8月の最初の日曜日は房総へ行く車で、道路が大混雑します。朝5時ごろから渋滞ができます。また、帰りは、房総の海から帰る人と、デズニーランドからの帰りなどで、10km以上の渋滞になるのが慣わしでした。ところが、今日は行くときはまったく渋滞がなく、成田空港へ行く車も少ない状態でした。帰りもまったく渋滞がなく、レインボーブリッジを避けて帰ったら1時間半くらいで着いてしまいました。4時半に帰れたのは記録かもしれません。
この異変のわけは?もちろんガソリンの高騰によるものです。マイカーによるお出かけはやめ、公共交通機関を使っているものと思われます。すごいですね。皆さん徹底しています。
高速のスピードもそうです。100km/hrくらいが平均的流れになり、どんどん飛ばす人は少ないです。皆さん経済走行を気にしているみたいですね。ゴルフ場の行き帰りで、たぶんガソリン代が500円くらい値上がりしていると思います。たかが500円、されど500円です。

土曜日, 8月 02, 2008

PBL

名古屋で”PBL再考”というワークショップに参加。
かつて同僚であった先生が主催者なので是非に参加させていただきました。
朝7時過ぎに我が家を出ると、名古屋大学には930頃には着きました。

さて、PBLとは?ですが、Problem based learningのことで直訳すると、問題基盤型学習になりますが、意訳を含めて、課題発見問題解決型臨床教育などといっております。
7,8人の少人数で学習します。まず、患者の提示があり、その患者についてみんなで問題点を挙げ2,3日かけてそれぞれが調べてきて、次のときに発表しあうというものです。一時小学校ではやったお調べ学習ですね。
医学教育でも1990年代に大流行になり、ほとんど全ての大学で取り入れましたが、最近になってその効果があるのかどうか?医師不足の折、各グループのチューター(指導者のこと)の労力が多すぎることなどから、「再考」しようという動きになっています。

小学校でも、お調べ学習はまだやっているのでしょうか?水道のことを調べようといって水道局に出かけたり、ガスのことを調べようというので東京ガスに出かけたりしています。医学部の事を調べようと東大の医学部に中学生がかわるがわる来たことがあり、結構迷惑しました。
その際の経験では、何も予習しないで医学部に見学にこられても、結構迷惑です。あるいは、最先端医療のことを勉強してきて、それを見せろといっても結構困ります。

何はともあれ、医学教育の中でPBLは瀕死の状態にあります。教員の数も違う外国の制度をそのまま取り入れたことが最大の問題でしょう。

今日のシンポジウムはそのような愚痴の交換会になりました。どうしたらよいのだろうかという疑問にはほとんど解決策はなかったです。
帰りに駅で冷やしきしめんをいただき、お土産は赤福を買って帰りました。
 名古屋大学病院。結構新しく、威圧されます。

金曜日, 8月 01, 2008

編集者会議

いよいよ8月、今日は大きな仕事をしました。
日本医学雑誌編集者会議というのを日本医学会の元に設立しました。
何それ?という方のために簡単に背景から説明します。1978年ごろに国際医学雑誌編集者委員会というのが作られて、文献の書き方とか、論文の構成などを提言してきていました。1990年代以降、さらに論文投稿者の倫理(捏造や剽窃の禁止、二重投稿の禁止など)とか、利害の対立の問題(研究費をもらっている製薬会社の薬を有効性が高いように書くなど)も提言してきています。これらを受けて、日本でも、研究者の倫理を謳う組織が必要と考えられるようになって来ました。
さらに5月には西太平洋医学雑誌編集者会議というのが立ち上がり、各国で医学雑誌の質の向上を目指しましょうということになりました。
これが背景で、日本医学雑誌編集者会議が立ち上がったわけですが、目的は、医学雑誌の質の向上と、研究者ならびに編集者の倫理の向上です。
具体的にはバンクーバースタイルと呼ばれる記載方式を採用し、medlineと呼ばれる国際標準のデータベースに採用してもらい、臨床試験は事前登録制度を採用するようにすることなどです。
活動としては、シンポジウムや講演会の開催、あるいは若手研究者を対象にした研修会の開催や啓蒙書籍の出版などです。
結構いい仕事をしたと思っています。でも、150人近くの編集長さんたちの前でこれらを説明し、賛同を得るのは大変でした。背中に汗をびっしょりかきました。