火曜日, 9月 30, 2008

医療費の高騰

午前中は総合外来当番。頭痛がするので、CT検査を希望する中年女性。一般的には検査をする必要はありませんが、姉が脳出血で倒れているのでぜひ検査をしてほしい言ってときました。検査結果はもちろん正常。彼女は大満足です。かくして日本の医療費は高騰します。
手がしびれるというので、総合内科と神経内科と整形外科を受診する60代男性。整形外科で首のレントゲン写真で脊椎の変形が見られそのせいだと診断される。それでも総合内科と神経内科を受診する。MRI検査をする。こうしてまた日本の医療費は高騰しました。

40代男性、風邪をひいて近所の医院を受診しなんと6種類の薬を処方され、服用した翌日蕁麻疹が全身に出て大学の皮膚科を受診。全ての薬を中止し抗アレルギー剤を処方される。それから1週間しても風邪が治らないので総合外来を受診。よぉーく説明してうがい薬だけ処方する。この患者の場合、単なる風邪だったのがどれだけの医療資源を使ったことになるのだろうか。

午後は血液外来。長いお付き合いの患者さんばかりでそれなりの重病であっても気は楽です。

写真のものを患者さんにいただきました。ブログで香りをお届けできないのが残念です。焼いて良し、土瓶蒸しで良し、混ぜご飯にしても良しです。食欲の秋、味覚の秋でござる。

月曜日, 9月 29, 2008

職場巡視

H大学の診療所で診療。昼休みは、産業医として月1回の職場巡視。

残業の多い部署に出向き、残業を減らす努力をしているか問いただす。例えば、定時退庁日を設けるとか、文化として遅くまで居ることが美徳のようなことのないよう指導する。

防火体制のチェックも仕事のうちです。消火栓の前に荷物を積んである箇所を注意したり、日ごろは通過する階のエレベーターホールが荷物置き場になっているところには、非常時には最寄の階に止まるのでエレベーターホールをあけるように指導しました。

結構面白いですが、歩き回るので疲れます。

夜は、今年の春の医師国家試験に落ちたいわゆる国試浪人たちと飲み会。結構生意気なことを言っていますが、心の傷は結構深そうです。励ますのも教師の仕事のうちです。もちろん飲み代は全部教師が払います。

日曜日, 9月 28, 2008

指導者研修3日目

今日は、研修医や研修制度の評価に焦点を絞って勉強しました。
特にポートフォーリオ評価がいいですね。ポートフォーリオというのは紙バサミのことで、研修の期間中の出来事や指導医からの評価などに加えて、勉強した文献や配られた資料などを整理して保存しておき、それを時々開いて自己評価したり、指導医と評価しあったりします。

この評価法の紹介を、慈恵医大柏病院の古谷先生にお願いしました。熱い先生で、慈恵医大の学生の実に7割くらいが柏病院での研修を希望して、港区の本院は形無しです。
 
研修指導医の資質の一番は熱意、2番は研修医を愛することだろうと思います。
ひげむくじゃらの風貌ですが、目がやさしい良い先生です。
1330ごろ無事に終了。世話人で反省会を行い解散。
かえって爆睡。やはり疲れます。かくして自分の週末は過ぎてしまいました。

土曜日, 9月 27, 2008

指導者研修2日目

指導者研修も佳境に入り、small group discussion SGDが繰り返しされています。
単なる講義を聴くのと違い、自分が発言したり記録したり発表しなければならないので知的活動は大きいものがあります。その分結構疲れます。
それと、結構、ハイテンションになります。人によってはそのままなので飲み会でもしゃべり続けたりします。また別の人は、疲れきって泥のように寝てしまいます。
 
コミュニケーションの講義に素敵な女性講師が来てくれました。
講義ではなく、本当の参加型の教育です。いろいろなコミュニケーションを経験します。
楽しくためになるお話でした。
 
当然夜は爆睡でした。

金曜日, 9月 26, 2008

指導医研修

今日から3日間の予定で関東労災病院の研修センターで、全国の労災病院の研修指導医を集めて指導医講習会です。2泊3日の缶詰です。
2月の末に一度行い大成功であったということで、今回は人数を増やしての開催です。
参加者は初めてですが、お世話をするほうは2度目で、中田ルミさんが怖いです。
夜の懇親会では、労災病院の機構の理事と、労災病院のあり方を論じてしまいました。「勤労者医療」の使命を高らかに謳われていましたが、炭鉱などの危険職場が減少している現在、地域医療だ、勤労者医療だと分けるのも難しいですね。

木曜日, 9月 25, 2008

大地震が来たら

午前は労働衛生委員会。
防災訓練の報告などがありました。そして、話題はもし大地震が起きたらわが病院はどうなるのだろうかということ。地域住民が押し寄せてきても対応できないだろう。たぶん、バリケードを張って、病院には入れないようにしないといけないようです。
手術中の患者はどうなるのだろうか?メスも鉗子も全部床に落ちて不潔になるから、手術を中止しておなかを閉じることすらできないかもしれない。
こんな話で結構盛り上がりました。 
文字通り灯台下暗し、わが居室のある図書館の庭にきれいに彼岸花が群生していました。

水曜日, 9月 24, 2008

伊豆大島2

夜は満天の星でした。飲みすぎで朝、4時ごろ目がさめました。オリオン座がはっきりと見えました。星雲もはっきり見え、カシオペア座も、北極星も見えました。
写真は三原山の夜明けです。
 
朝、風呂に行きました。活火山の島だけあって、温泉が出ます。露天風呂が気持ちいいです。
 
朝食後、診療所を訪問し、一渡り落ち着いてから、観光タクシーで山に登りました。
外輪山の上までいけます。外輪山からみた内輪山です。噴煙ではなく雲です。
今は噴煙を上げていません。
 
外輪山から見た外輪山です。
 
海岸も多くはがけになっていて、平野部がほとんどない島です。
そのぶん風光明媚です。

都はるみの涙の連絡船で有名な波浮港です。
カルデラ湖であったものが地震で縁が壊れて海とつながり天然の良港ができました。
ただ小さいため、大型船が入れず、今は漁船しかいなく寂れていますが昔の雰囲気のある落ち着いた町です。
 
海岸線の道路のため削ったところが、地層のバームクーヘンになっています。
定期的に噴火を繰り返しているのがわかります。黒いのが、溶岩です。
 
1305のANAで帰ってきました。結構ちゃんとしたジェット機で、飛んでいる時間は15-20分くらいです。
感覚的にはあっという間についた感じ、あるいは地上を走っているほうが長いくらいです。
今日は晴天で、アクアラインの海ほたるがよく見えました。

火曜日, 9月 23, 2008

伊豆大島1

伊豆大島に初めて来ました。近いです。
14時ごろ自宅を出て、1446新横浜発こだまで30分で熱海に着きます。
港までタクシーで5分。1545発のジェット船で伊豆大島までなんと45分で着きます。 1630にはもう島についていました。
自分の乗ったジェット船は、虹号。時速80kmで波の上を走るのでほとんどゆれません。

空はもう秋、伊豆半島の連山を見ながら快適に進みました。

伊豆大島の遠景です。中心にある三原山は活火山です。
島は南北12km、東西9kmの楕円形で、北の岡田港、西の元町港、南の波浮港があります。
今日は船は、最大の町、元町港に着きます。 波の具合で着く港が違います。
 
元町の桟橋。それなりに波はありました。
 
伊豆大島の人口は約9000人。医療機関はほぼ1つ。最近開業した診療所がありますが、この写真の大島医療センターが唯一といっていいです。
従来の2つの都立診療所と藤井医院を合併して、公設民営で平成17年から診療をしています。
医師は7名、内科4名、整形外科、産婦人科、小児科が各1名です。うち、内科の2人と、整形、小児科は東京の大学の医局からの派遣で、半年交代だそうです。
研修医も1ヶ月交代で何人か来ているそうです。
設備は凄いです、19床なのに、CTもMRIもあります。分娩室も立派ですし、使っていない手術室も立派です。麻酔器も超立派ですが、使ったことがないそうです。
外来は200-300人くらいだそうです。分娩は年間30人くらい。
 
藤井医院の創設者、藤井豊先生の銅像。97歳でご存命で、東京帝国大学のご卒業だそうです。
海軍の軍医だったそうですが、戦後すぐに生まれ故郷の大島で開業し、文字通り孤軍奮闘、死んだ気になって働いたそうです。日常の診療が終わって、それから往診に出かけるので、往診が終わるのは午前3時だそうです。昔の人は偉かったです。何十年も365日島を空けなかったそうです。

病院から見る夕日はきれいでした。空気が澄んでいます。
 
夜は、事務長(左)、看護師長、院長、副院長(右から順)と大宴会。
皆さん遠慮していないのにお刺身や、かぶと煮が残り、鳥の照り焼きが食されます。
魚に厭ているのだそうです。自分が遠慮なく、お刺身を死ぬほどいただきました。
2次会は、事務長のご自宅にお邪魔しておもてなしを受けました。
院長も副院長も、大島のご出身だそうですが、子供の教育もあり、ご家族は東京だそうで、
島には単身赴任だそうです。豪華な院長宅にお一人とは寂しいでしょうね。

ホテルに帰ってきて、トイレに行ったら、大蜘蛛がいました。15cmくらいあります。
島にお嫁に来て、嫌がられるのがこれらの虫だそうです。
大蜘蛛やムカデがいて、「ぎぁー」と叫ぶことになるそうです。
自分は叫びはしなかったですが、カメラを取りに走りました。

空には満天の星がありました。

月曜日, 9月 22, 2008

彼岸花

朝から、H大学の労働安全委員会、そのあと診療。

昼休みに四谷の土手に一輪の彼岸花を見つけました。


一輪だけでは寂しいので友人から送られた写真もご紹介します。


彼岸花は、本当に秋のお彼岸の頃に一気に咲きます。一見毒々しいくらいの赤色ですが、見慣れると華やかできれいです。昔は田んぼのあぜ道に沢山咲いていましたが、今はあまり見かけません。


靖国神社に行ってきました。お茶屋さんでは、政治ねたのお土産を売っています。福田政権では「ねじれ餅」が売れていたようですが、今日は「あなたと違うんです」というポスターがありました。
誕生やっくん総理!というポスターの上に、ありがとう!やっくんというポスターが貼ってあるのも皮肉ですね。

背中に担いだ袋には、「私は自分自身を客観的に見ることができるんです」と書いてあります。

夜は、雑誌の編集委員会。連休の中日とあって、ホテルは今まで見たことがないほど閑散としていました。欧米の経済破綻は、過当競争気味の東京の高級ホテルを直撃すると思います。そうすると超高級ホテルがお安く泊まれるかもしれませんね。

日曜日, 9月 21, 2008

下手でも長くすれば金メダル

佐原GCで久しぶりのゴルフをしました。練習の成果があり一つ一つのショットは良かったのですが、いくつかのホールで大たたきしてやはり100でした。本当に下手になったみたいです。

メンバーを少しご紹介します。Oさん、われわれの仲間会(しばらく会といいます)の顧問格です。現在79歳、あと3ヶ月で80歳だそうです。お酒やさんで、結構太っていたのですが胃がんの手術をしたあとは結構やせています。いまだにつき3回ゴルフをされています。

ゴルフの極意は、そう極意は、良いスコアでまわることではなくて、如何に長く続けるかということと思います。自分も、80まではしたいなぁとおもっています。

 
いつも一緒に回ることの多い4人です。50台が二人、70台が二人です。

土曜日, 9月 20, 2008

医療資源の公平な配分

内科系学会社会保険連合という組織の主催による「医療倫理と保険診療」という題のワークショップに出てきました。
内科系学会社会保険連合というのは内科学会など内科系学会で、保険の点数を上げてくれと厚生省に圧力をかける組織です。例えば、神経内科の診察は時間がかかるから値段を高くしてほしいとか、骨髄移植の準備段階で患者さんが亡くなった場合も実費を要求できるようにしてほしいなどいろいろあります。
この団体が、自分の要求ばかりを言っていたのでは社会に認められないと思い、2年前に、「国民の信望と信頼にこたえる医師と医療」特別委員会を立ち上げ、自分が副委員長になってしまいました。
今日、集まったのは、医療倫理やプロフェッショナリズムに詳しい演者5人(自分も含まれます、あつかましくてすいません)と委員長、それ以外には3名とあとは事務員3名、合計12名きりでした。
会場は霞ヶ関ビル35階、台風一過で、空気がきれいで、海ほたるの建物や房総の山々がくっきりと見えました。
自分は、朝3時に起きて、スライドを作り、それ以前にも、医療経済や医療倫理の本を読み漁り準備したのですが、結構寂しいところがありました。まぁ自分としてはほかの人の発表が聞けて勉強にはなりましたが・・・
結論:医師をはじめとする衣料職のプロフェッショナルが、限られた医療資源の公平な配分を考えなければいけない。行政に任せておいてはいけない。医師も、医療経済の知識を持つべきである。

金曜日, 9月 19, 2008

練習しました

千葉大の主催で、幕張メッセで開かれた国立大学病院臨床研修担当者協議会というのに参加してきました。

全国50近くの大学から臨床研修担当者が集まる会議です。昨日も書きましたが、変化のあるときなので、皆さん、厚生省、文部省の方々がどんなご発言をされるのか興味津々、戦々恐々と拝聴しました。

結局は、今動いている最中でありなんら決まったことはいえないということでした。ただ、言葉の端はしに、目立ちたがり大臣が独善と偏見で行っている改革は、混乱を作るだけであり、役所として組織だって進めているわけではないとの認識が伝わってきました。

自分も同感です。改革は重要だけれども、独断と偏見に基づいたのは改革ではなく、混乱と呼ぶべきでしょうね。

昨日からずーっとこんなことばかし考えているので、夜は、うちっぱなしに行ってきました。台風の大雨の中、100球ばかし打ってきました。

木曜日, 9月 18, 2008

1周年記念のお祝いにお答えして

午前中は大学にいて、午後は文部科学省で会議の連荘。
歯学部の基礎研究室で研究する人が少ないとのこと。歯科医は余ってきていますが、なかなか研究者としてやっていける人は少ないでしょうね。

さて、このブログ、1年経ったことを書いたところ、何人かの人からお祝いのメッセージをいただきました。ありがたいことでございます。そこで、そのお礼を兼ねて、近頃考えていることを書かせていただきます。お付き合い願えたら幸いです。
今、世界は動いていますね。経済でいえば、100年に一度のイベントともいえるリーマンの破綻、100兆円規模の公的資金援助など前代未聞のことが次々に起こります(専門でないので詳しいことはわかりませんが)。世界の政治も、米ロの対立や、アフガニスタンでのタリバンの優勢など不安定要因が多いです。日本で見ても、安部、福田と1年ずつで投げ出し、政権交代が起きようとしています。経済も株価が乱高下しています。自分の世界でも医師不足が大きく喧伝され、医学教育の分野でも、医学部の定員の大幅増加や、20年近い議論でできた研修制度の見直しなどが議論されています。
言ってみれば、今まさに「変革のとき」だろうと思います。明治維新や終戦のときに匹敵するような大きな変化が2008年のまさにこのときにおきつつあるように思います。1868年明治維新とか、1945年敗戦とか言う風に歴史に刻まれていますが、2008年平成の変革とか、平成元禄の終焉とか歴史に刻まれるような気がしています。
明治維新のころの庶民の生活を読んだことがあります。朝廷・薩長対幕府・会津の戦いが起きていることは庶民も十分知っていましたが、日々の田んぼの世話と稲刈りにいそしんでいたようです。天下体制よりも、近所のじいさまの死去とか、近所の嫁さんの素性なんかのほうに興味があったようです。庶民はしぶといです。
で、今まさに歴史的な変革期にあることを認めるとして、自分はどう行動すべきか?
週末ごとにゴルフをしていていいのだろうか?夜毎夜毎焼酎を飲んで、モンゴル人横綱の勝敗に一喜一憂していていいのだろうか?ドラゴンズそっちのけで、虎対巨人の行方に現をぬかしていていいのだろうか?ということです。
途中の思考過程は省略して、結論を言えば、変革期であることを強く認識し、日々の日常を地に足をつけて生きてゆくべきと思います。まず、変革期であることを認識しないのは、あまりにも鈍感と思います。歴史的変化であることを認識してもっと楽しまなくては。劇場型政治は好きではありませんが、フィクションより面白い現実の変化が起きているのですから楽しむべきです。
されど、行動は軽々に起こすべきではないと思います。(起こしたくても起こせませんが・・・)変革のときだからこそ熟慮と慎重な行動がいいのだろうと思います。
Think globally, Act locally

水曜日, 9月 17, 2008

健康診断

年に一度の健康診断を受けました。
問診表に記入し、検便も持参し、神妙な気持ちで安田講堂(有名な時計台です)の地下の保健センターを受診しました。今年は体重 を8kg以上減らしたのでちょっと楽しみです。
尿検査、小さい窓から尿を提出したら、向こうの検査技師さん
「先生、今年は全部陰性よ、残念ね」
健康診断に来ている検査技師さんの多くは病院の検査部の元技師さんが多く、元同僚。
「どう、元気、定年後なお元気でしょう?」と減らず口です。
腹囲、86.1cm 「あと1センチ減らさないと」
実は身長が1.5センチ縮まって176.5になったことがショックです。小魚を食べカルシウムを補給して、身長を伸ばしたい。本当は、179cmあったんですよ。
これ以上縮んだら、絶対にヒールの高い靴を履きます。

火曜日, 9月 16, 2008

血圧計の修理?

今日は、午前、午後と外来。
午前は総合内科、午後はいつもの血液外来。
総合内科というのは、循環器内科とか消化器内科など受信先がはっきりしない患者さんをとりあえず診療する場所です。とはいえ、一癖もふた癖もある患者さんが来ます。
今日の第一例目、76歳男性。
「先生、田中角栄をしているかい、そのあとの中曽根、奴らに手紙を書いて政治を教えたのは俺だよ。」誇大妄想の統合失調症です。今日の訴えは、クーラーが壊れて暑いこと、それはだれかがじぶんの家に忍び込んで壊したから。それは大変ですねといいながら血圧を測定して今日の診療は終わり。
帰り際に、「今度福田さんに手紙書いて政治を教えてやってよ。」
第2例目は、61歳女性、小太りのおばさん、新患です。
「今日はどうされましたか?」
「私の血圧計、壊れているか見てほしいんです」
「はぁ?」
聞くところによると、自宅での血圧が、160/100くらいになったので、心配になり近くの開業医に行ったところ、血圧は150/96くらいで、降圧剤は要らないといわれたので、機械が壊れているのかと心配になってきたとのこと。(ここまで聞き出すのに15分はかかりました)
ここで、自分の血圧計で血圧を測ってくださいといって、そのあと自分が計ってあげて、ほぼ変わらないでしょう。「それより、体重を減らしませんか?体重が減れば、血圧も下がりますよ。」といって、次回40日後、3kgの減量を約束してお引取り願う。
こんな調子です。大学病院の敷居はきわめて低いです。

月曜日, 9月 15, 2008

お祓い

朝のうちに、近くの神社を散歩しました。
 
ちょっとした森の中にあり、しっとりした感じが、都会の喧騒を忘れさせてくれます。
 

関西では、新車を買うと御祓いを受けるようです。写真にあるように全てのドアを開け、ボンネットやトランクなどもあけ、神主さんが四方から御祓いをしていました。持ち主のご夫婦は神妙にこうべを垂れていました。これで、交通事故が減るのでしょうか?統計処理はされていないでしょうが、御祓いを受けた車は安全運転されることでしょう。間違っても白バイには捕まらないようにと陰ながら祈っておりました。

かわいい巫女さんにお願いして写真を取らせてもらいました。

帰りは夜、関西空港から羽田へ。雨のため、結構ゆれました。

日曜日, 9月 14, 2008

1周年

このブログ、ちょっとの間、別のURLで書いたのですが、それが始まったのが昨年の9月13日でした。
ゴルフの仲間の方がブログを始められたこと、海外へ行くことが多くなったので写真つきでお知らせしたいと思ったこと、人に読んでもらう日記もいいなぁと思ったことなどが書き始めるきっかけだったように思います。
何日かの空白はありますが、ほぼ毎日で1年続けることができました。この間、読んでいただいた方のレスポンスが、最大の励みになりました。食事の写真ばかりでつまらないというご意見もありました、風景写真はおおむね好評だったようです。風景はほめていただきましたが、写真の腕というのは一度もほめていただけませんでした。もっと精進したいと思います。
気をつけてきたことは、個人情報の漏洩;知っている人が読めばすべてがわかりますが、知らない人にはわからないようにと考えておりました。その点読みにくい面があり、失礼しました。
それから検索に引っかからない工夫;おおくの企業のHPはできるだけ検索に引っかかるように工夫されていますが、このブログは引っかからない工夫をしています。時々カタカナやひらがなで固有名詞が記載されるのはそのためです。ご了承下さいませませ。
皆様の、目の毒、耳の毒ではありましょうが、これからも続けていこうと思います。これからもよろしくレスポンスをいただけますようお願い申し上げます。
店主敬白

土曜日, 9月 13, 2008

臨床研修指導者講習会in大阪

朝の空港行きバスで、羽田へ。930羽田発大阪伊丹空港行き。
今日から3日間の臨床研修指導者講習会の講師として参加。場所は、伊丹の近くで、モノレールで20分くらいの宇野辺という駅の近くの、パナヒルズ大阪。松下電器の保養所のようなところですが、テニスコートやゴルフの練習場まで完備された立派なところです。近くに、関西随一の名門茨城カントリー倶楽部がありますが、今回はゴルフは全くなし。
相変わらず、コミュニケーションとプロフェッショナリズムについてお話しました。

金曜日, 9月 12, 2008

至高のとき


夜明けの琵琶湖

大津市街、遠く比叡山を望む。湖岸に散歩道がある。

琵琶湖の南を望む。橋は、近江大橋。この先瀬田川、瀬田の唐橋とつづく

宿泊した大津プリンスホテル。琵琶湖湖岸にあります。
朝5時ごろに起きて、26階の窓から琵琶湖の夜明けを楽しみました。徐々に白んで行くさまは、絶景でした。このホテルは、風景意外にいいところがありました。お風呂が、和式で洗い場が湯船の外にあります。気持ちよかったです。
朝食のレストランは7時から。2分前に言ったら1番でした。2番目には言ってきたのは、財団の理事長、自治医大の先生で、実は自分の師匠です。朝食をご一緒し、なんと二人だけで湖岸を30分ばかし散歩しました。師弟とはいえ、二人だけで散歩することは何年に一度もありません。
自治医大を帝ご夫妻がおとづれた事などを連れずれなるままに聞いておりました。
○お昼は大学の食堂で、カレーを食べたとのこと、栃木の地鶏を使って、その後ロイヤルカレーということでメニューに加わっていること。
○自治医大の卒業生で、鹿児島の離党を毎日回っている医師が、足元が船のように揺れていないと落ち着かないといっているという話が、美智子妃に非常に受けた。
○PSAという前立腺癌のマーカーが天皇も、学長も同じくらい低いと自慢しあったこと
などなどたわいのない話でしたが、自分としては至高の時でした。

午前中に東京に戻り、午後1時から、大学の4年生に、PBL(problem based learning)、課題発見問題解決型授業のオリエンテーションと、第1回目の少人数グループの授業。
自分の班は6人で、灘高校が3人、麻布が1人、巣鴨高校が1人、桜蔭高校の女学生が1人。思いやられます。

木曜日, 9月 11, 2008

滋賀医科大学


新幹線から見た富士山、新富士駅辺りです。

september11th. いろいろ思うところがあります。アフガニスタンはよくなりません。

「医科大学視察と討論の会」という変な名前の会合に出かけてきました。
医学教育振興財団が主催している会で、毎年この時期、どこかの医科大学を選んでそこの医学教育の現状を見に行き、また学生さんたちと交流する会です。参加者は、全国の医学部の教務担当の先生方です。
今年は滋賀医科大学が当番校で、滋賀県の瀬田まで出かけてきました。大津(琵琶湖の南の端)から瀬田のから橋を渡り石山(紫式部が源氏物語を書いた石山寺がある)、瀬田と続きます。瀬田プリンスゴルフクラブという大きなゴルフ場があります。その瀬田駅から、バスで10分ほど、タクシーで1300円ほど山の上に行ったところに滋賀医科大があります。山ですから周りは何もなく、コンビにも居酒屋にも不自由します。
学校の教育は、倫理教育として、1年生に介護福祉や、障害児施設などにいかせて医療の現場を体験させたり、解剖のご遺体の受け入れを手伝わせたりしています。また地域医療への貢献として県内の診療所を訪問させたりしています。無茶苦茶特徴的というわけではありませんが、地道に医学教育に取り組んでいるようでした。学生との討論で、自分の横に座った2年生の学生さんは利発でまた美人で好感が持てました。
この大学に限らず、日本の医学教育は教育が多少まずくても、利発な学生さんがその意図を感じて自分でしっかりと育ってくれることでもっているようです。
夜は大津の大津プリンスホテルに場所を移して学生さんも参加して大懇親会です。
学長先生のご挨拶で思ったこと、一つ目は「滋賀県は100分の一といわれています」ということ。これは長くわが石川県が言っていたせりふではないですか。石川県の人口は110万人、滋賀県は140万人、経済力は比べようもなく、滋賀県が勝っています。二つ目は、「ここ滋賀は近江商人の発祥の地です」というお言葉、近江商人といえば、歩いた後には草の一本も生えないといわれています。ネガティブなイメージかと思ったら、むしろ誇りにしているのですね。
そういえば、このプリンスホテルの創始者、堤家も近江の出身でした。  
これは財団理事長、自治医大の先生です。
今年行った府県が1県増え、1神奈川(自宅) 2東京(職場) 3千葉(ゴルフ) 4栃木(自治医科大学) 5群馬(群馬大学) 6三重(鳥羽市、神島) 7愛知(名古屋) 8沖縄(那覇の県立病院) 9埼玉(和光市、健康科学院) 10鹿児島(大学) 11岐阜(羽島郡) 12茨城(筑波大) 13石川(実家) 14福井(永平寺) 15大阪、16京都 17愛媛(道後)、18静岡(伊東)、19福島(郡山)、20宮城(仙台)21和歌山(青州の里)22兵庫(マダムJゴルフクラブ)23北海道(焼尻島)24新潟(新潟大学)25佐賀(佐賀大学)26滋賀(医科大学)となりました。海外は、ラオス、(タイ)、米国、中国、韓国 、インド、アフガニスタン

水曜日, 9月 10, 2008

自己実現

昨日とは打って変わって、朝から晩までひとつのことに缶詰で集中していました。
こくしの問題作成です。詳しくは述べませんが、結構手間隙のかかる仕事です。受験生にとっては人生の大事な節目ですから仕方ないですね。
夜は、職場の歓送迎会。おやめになる方は、今後、JICAの青年海外協力隊として、西アフリカの国(名前を忘れました)でエイズ撲滅のため、母親支援や子供支援をするそうです。はなむけの言葉は「日本国が何をしたか、支援された人々がどのように幸せになったかも重要ですが、自分が他人のために何かをしたという自己実現を大切にしてください。」
私的には、これが国際協力のひとつの評価基準です。

火曜日, 9月 09, 2008

9.9 何の日

一日にいろいろなことがあると結構混乱します。
午前中、厚生省で介護福祉士や社会福祉士の国家試験のあり方を考えていました。より質のよい試験のあり方、出題方法の効率化などが課題です。
お昼に急いで戻ってきて、血液外来の半分が終了した時点で、急いで病棟の災害対策本部へ。
今日は9月9日重陽の節句でもありますが、救急の日でもあります。年に1回の病院防災訓練。1330に緊急地震予知情報のアナウンスがあり、数秒後震度6強の地震に見舞われたという想定です。労働安全室担当のイベントで室長としての役割はあったのですが、院長が不在であり、院長役をしました。
「スタッフの死亡2名!」「了解!」
「病院玄関に、負傷した住民が押し寄せています。どうしましょうか?」
「トリアージの準備で来次第、トリアージを開始し、重傷者だけ院内搬入!」などと叫んでおりました。
「追い返しましょう」とは言っていませんが、実際は大混乱でしょうね。
1530に残りの半数の血液外来業務に戻り、1630より学部教務委員会。休学学生の話や、非常勤講師の話し、来年のカリキュラムの話などです。1730から職場スタッフと今後のプロジェクトの打合。
この間介護とか、災害医療とか、再生不良性貧血などいろいろな内容が頭を駆け巡りました。

トリアージというのをご存知でしょうか?災害などの場合、少ない医療資源を効率的に働かすため、最初に傷病者を振り分けることです。紙のタグを右手首に付けていきます。
4段階です。
第1順位 最優先治療群は赤色:直ちに処置を行えば、救命が可能な者
第2順位 非緊急治療群は黄色:多少治療の時間が遅れても生命には危険がない者で基本的には、壷球や血圧などバイタルサインが安定している者です。
第3順位 軽処置群は緑色;軽易な傷病で、ほとんど専門医の治療を必要としない者で実際には歩ける人と考えています。
そして、第4順位不処置群(死亡群)は黒色:もうすでに死亡している、あるいは医療を行ってももはや救うことができない者
この4段階ですが、分け方にもコツがあるようです。
「治療の必要な人、こっち来てください!」と叫んで、こっちに歩いてきた人は、緑のタグで、とりあえず治療はしません。病院の外で待っていてもらいます。だまし討ちみたいですね。
黒をつけるのも難しい様です。NHKで模擬練習をしていました。子供がもう瀕死なので、黒をつけようとしたら、母親がすがって赤にしてくださいと叫んだり、黒のタグを引きちぎったりしていました。演技とはいえ迫力がありました。家族としてはあきらめきれないでしょうね。
神戸の電車事故の際、娘が黒タグをつけられてなくなった遺族のかたが出ていました。医療に見捨てられた様に思うとのことです。本当に助からなかったのだろうかいまだに信じられないとも言っていました。
救急の教授が言っていました、災害医療では時に非人道的にならざるを得ない場面があると。


いつもは廊下の場所に、傷病者役の人が担架に横たわっている様子。
現実に起こらないことを祈るばかりです。

月曜日, 9月 08, 2008

捕まった

交通違反で捕まってしまいました。
正午前、御茶ノ水から水道橋に行く外堀どおりで、水道橋の交差点で、信号待ちをしていて、自分は歩道側の車線にいました。信号が青になって、さぁー出発という段になって前の車が左折ウィンカーを出して止まってしまいました。それで、ひとつ中央分離帯側の車線に変更して直進したのですが、
なんと、白バイが警告灯をつけて追いかけてくるではないですか。
車線変更した場所が、オレンジの変更禁止区域に当たるということで、うれしそうに
「運転手さん、1点だけです。今後気をつけてくださいね。もうすぐ秋の交通安全運動も始まりますからね。」罰金6000円です。
その場で結構抵抗したのですが、「認めないなら出頭してもらうことになります」の一言であえなくダウン。
本当にくやしぃー

日曜日, 9月 07, 2008

100たたき

佐原カントリーで久しぶりのゴルフ。
もうだめ。ひどいスコアで、報告することもできません。
ダイエットして体重を落として以来、ドライバーが安定しません。足腰が弱っているのですね。これを克服するには練習するしかありません。少し涼しくなってきたので、まじめに練習しましょう。

土曜日, 9月 06, 2008

歯学OSCE

医科歯科大学の歯学部のOSCE(オスキーと発音します)に行ってきました。8月中旬に新潟大学の医学部OSCEの話をしたので、覚えておいででしょうか?

OSCEとはObjective Structured Clinical Examinationのことで、簡単に言えば臨牀技能試験です。当たり前ですが、知っていることとできることは違います。小学校で、普通の教科は紙の試験ですが、音楽だけは実技試験がありました。笛のテストとか、ハーモニカのテストですよね。

医学部や歯学部ではここ5,6年、全国共通の技能試験を行うようになりました。今までやってこなかったのかといいますと、やってきませんでした。試験といえばペーパーテストのみ、追試で口頭試問があるくらいです。手が震え、背中に汗をかくような技能試験は受けていませんでした。

自分は医学のほうの責任者ですが、歯学の方を見学することになり、初めて歯学OSCEを見ました。医療面接や、手洗い、簡単な診察は医学と同じでしたが、歯根に詰め物をするとか、仮歯を作るなどは歯学特有でした。それに、歯の磨き方の説明などもありました。非常に面白く何枚かの写真も撮ったのですが、問題の漏えいにつながりかねないので公開できません。残念です。

学生さんは一生懸命やっていましたが、はっきり言ってやっぱり下手です。これから実習に出て腕を磨いていくのですが、患者の心理としては、学生を育てるよりハジメから成熟した先生に診てもらいたいというのが本当ではないでしょうか?

ここに問題があります。若い人を育てるには、経験をつませる必要がありますが、安全にまた患者も満足するような方法で教育しなければいけないのが課題ですね。

金曜日, 9月 05, 2008

日本の財団

緩和ケアの勉強を始めようと思っています。
ある財団が、癌の末期の疼痛緩和を始め、死に行く人へのサポートを行う緩和医療についても随分と援助しています。
自分も緩和医療に興味を持っていたので、まだ時期尚早ですが、東大にもこのような講座ができると真の意味で患者中心の医療ができるようになると思います。

午後は看護師の出題基準検討委員会。試験にこんなことが出るという基準で、これが変わると教育も変わります。座学の講義でなく、実習でベッドサイドで学ぶことを国家試験できいてみたいと思うのですが、非常に難しいです。

木曜日, 9月 04, 2008

沼津東高校

沼津東高校で講演会でした。対象は1-3年生で、医学部志望者。ならびに保護者。
タイトルは「医学部は君たちを待っている」
2年前にも、同じ高校で同じ趣旨の講演をしました。この春、その講演を聞いて医学部志望に変更した学生がめでたく東大の医学部(理科3類)に入学したそうで、再度講演をすることになったしだいです。
全部で80人くらい、保護者が10人くらいお見えでした。
医学部は、偏差値が高いという理由だけでこないでほしい。人を助ける気持ちがないと勤まらない仕事です。医学は常に進歩しているので、医師は常に生涯にわたって勉強し続けなければいけません。医学部の卒業生は臨床医のみならず、基礎医学者、公衆衛生、国際協力などいろいろな方面で活躍しています。このようなことが要旨です。
講演の後、質問がありました。
Q「先生は、いつごろ医師になろうと思いましたか?それはどういう理由からですか?」
A「父が学校の先生で、教師もいい職業だと思っていましたが、結構飲んだくれで、学校の人間関係も複雑そうで、教師は辞めて、医師になりました。その頃は成績がちょっといいと医学部にいくような風潮でした。」
Q「医師にとって大切なこと花にですか?」
A「いろいろ大切なことはありますが、第1は患者さんのことを思うこと、第2は常に勉強を続けること。2008年の知識のまま、2018,2028年と医療をし続けてはいけません。そのときそのときの最良の医療をすべきです。」
Q「将来国際協力したいのですが、東大と長崎にそのような講座がありますが、どちらがいいですか?」
A「もちろん東大です」
Q「国境なき医師団などNPOで仕事したいのですが・・・」
A「NPOもよいけれど、君たちのようにリーダーになる人は、外務省やWHOなどで政府開発援助に深く携わってほしい。NPOはピンポイントで、業務としてはそれほど大きくないので、ODAや国際協力期間で、働くのもいいですよ。」
などなど
高校生の若い人たちと話していると、自分も若返るようです。

帰りにアジの開きとさつま揚げを買って、おいしいお酒をいただきました。

水曜日, 9月 03, 2008

疲れた

忙しい日でした。
8時に面会。9時から労働安全委員会(10時まで)
10時30分に、科学技術振興会の方との面談
11時から医学教育センターミーティング。9月からの新人4名が新しくこられ、お互いの紹介など大変。
12時から雑誌社の面談。「日本のコメディカル教育の課題」という内容。実習中心の教育がいいと思うのですが・・・皆さん大学にして、研究させたいみたいですね。
これがながびき、昼食は移動の途中にカレーライスをかけ込み、
15時から、医学中央雑誌刊行会で会議。医学雑誌のデータベースのNPOです。場所は高井戸、暑くて大変でした。
17時に終わり、18時から労働者健康福祉機構で会議。労災病院の元締めで、本部は川崎駅前です、ここで20時まで今度の研修会の打合。
労災病院というのは全国に32の病院、13000床、13000人のスタッフを抱える病院のチェーン店です。炭鉱や、製鉄所などの危険職場があったときは重要だったようで、整形外科を中心に華やかな時代がありました。今は、危険職場も少なくなり、厚生省と労働省が統合し、国立病院との違いが明確でなく、さらに労働者の最大の問題はうつ病などの精神疾患になり、いろいろ課題の多い組織です。
久しぶりに本当に疲れた。
焼酎1杯で爆睡。

火曜日, 9月 02, 2008

今日は和食

辞めちゃいましたね!

このブログでは政治の話はタブーとしていましたが、それにしてもあっさりと辞めちゃいましたね。お父さんの福田赳夫さんも大平さんに選挙で負けたときに、「民の声は天の声というが、天の声にも変な声もたまにはある」といって、結構あっさりと辞めました。権力の座にしがみつくより、潔いかもしれませんが、それにしても突然ですね。

今日は外来診療の日。そのあと、雑誌の編集会議です。編集会議の後食事をいただきました。パレスホテルの和食のコース。おいしかったです。ダイエットしている身にはこたえます。

月曜日, 9月 01, 2008

メディカルスクール構想

今日から9月。
村上から戻り、ある福祉系大学の会議に出ました。通常の4年制大学を卒業した人だけが入学できる4年生の医科大学(医科大学院)の構想の検討会です。米国では殆どの医科大学がこの制度であり、より成熟した人が医師を志すメリットがあります。
問題は日本に向いているかということです。ただでさえ、モラトリアム人間が多い中、自分の人生も決めれない人が「医者にでもなろうか」という感じで入学してきたら困ります。
詳しい議論は避けますが、これを「メディカルスクール構想」といって、日野原先生は大賛成のようです。
議論の後、ホテルニュー大谷の中華のフルコースをいただきました。ダイエットするのがつらいです。特にふかひれ姿煮はおいしかったです。

TaikanEnというレストラン:1964年の開店以来、多くの美食家に愛されてきた本格上海料理「Taikan En」。“王道主義”を貫くメニューは、さらにグレードアップ。特にふかひれの姿煮は、天日干しの希少な気仙沼産の最上質なものを用いる他、伊勢海老や鮑などの特撰素材メニューから、50年もののヴィンテージ紹興酒なども充実。料理長の黒岩利夫をはじめ、北京の特級厨師の資格を持つ麺・点心の達人や、香港から招聘した焼き物名人がオープンキッチンのガラス越しに鮮やかな技を披露しながら、本物の味をお届けします。