金曜日, 10月 31, 2008
ふぐ
基本的には、医師の教育はプロフェッショナル集団である石の集団が決めることと考えておりますが、その医師集団が機能不全に陥っているため、官僚と密な意見交換が必要になると思います。医師の教育には長い時間がかかります。それゆえ、医師養成制度の改革にはいろいろな視点からの議論が必要です。医師不足と呼ばれている現状をちゃんと分析して必要な対応を考える必要があるでしょうね。
午後は、学生の少人数教育。
夜は、ゴルフ仲間とふぐ会席。この時期のふぐはまずまずです。ふぐ刺し、ふぐちりいずれも美味でした。
木曜日, 10月 30, 2008
古川さん

夕方、ある方のご紹介で、古川貞二郎さんという方を囲む会に出ました。古川さんは74歳、元厚生事務次官、内閣官房副長官などをされた方です。各省庁の事務のトップが事務次官で、その事務次官を束ねる事務方のトップが官房副長官です。村山内閣から小泉内閣まで5代の総理に仕え、歴代最長の官房副長官でした。
水曜日, 10月 29, 2008
信州の病院視察
病院の機能評価に来ました。少し早くホテルを出て、諏訪湖畔を歩いてみました。

湖畔の風景はのどかで晩秋の信州の空気がおいしいです。


見学した病院の全景です。地域の中核病院として、大きいほうの病院でしょう。

研修医は13人おり、みんな元気で仕事していました。元気で明るいというのが一番ですね。
この病院の特徴は、教育熱心な先生がお一人いて、その先生が研修医のロールモデルになっております。教育者として、その先生を見習いたいと思います。ただ、その先生の後継者がいないのが欠点といえば欠点ですね。
この病院、諏訪湖畔の風光明媚なところにあり、よい教育をしているのになぜ研修医が集まらないのか?単に信州の田舎にあるからという理由だけだろうか?
難しい課題ですね。
火曜日, 10月 28, 2008
この秋の名言
朝一番に学生と、グループ学習の予定が、6人中2人しか来なくて中止。そのあと文部省で会議、午後は外来です。夕方、スーパーあずさ33号にて、上諏訪に移動。あまり刺激的なこともなく平々凡々とした一日でした。
実は、昨日のH大学では大変な事件がありました。精神的に問題のある学生とは知っていたのですが、体がだるいと言うことで受診。精神的にはつらいことはない?とか、友人はできたの?など一渡りたずねるけれどあまり心を開かない返事でした。「友人なんて要らない、べたべたした関係なんか高校時代で卒業した」という感じでした。休養室で休ませておいたところ、1時間ほどして看護婦が駆け込んできて「リストカットしました」(^_^.)非常に浅い傷ですが4筋ほど切れていました。それから、泣きじゃくる学生と約1時間面談。人間関係ができたと考え、定期的に来院する約束をして帰しました。何事も無事が一番。
さて久しぶりに名言集をご紹介します。今までとソースが違うので違うタッチの名言集が集まりました。
○ 一事を考え終わらざれば他事に移らず。一書を読了せざれば他書をとらず (西田幾太郎)
西田先生はわが石川県の出身です。「善の研究」を読了しないとほかにいけなかったら一生に1冊しか読めないことになります。
○ 評価では悲観的、行動では楽観的 (ユダヤの諺)
○ 借金を返さないのは、盗みを犯すのと同じである。(ユダヤの諺)
ユダヤの諺は他国と一味違うようです。ベニスの商人のような悪徳商人のイメージがありますが、一面真理を見ている人種かもしれませんね。
○ 未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことである (アラン・ケイ) 好きな言葉です。「改革という名のバスに乗るなら乗客よりも運転手になれ」というのもあります。
○ 距離が問題なのではない。難しいのは最初の一歩を踏み出すことだ。 (デファン夫人) わかってはいるけど始めれないです。
○ 学べば学ぶほど、自分が何も知らなかった事に気づく、気づけば気づくほどまた学びたくなる。 (アルベルト・アインシュタイン) アインシュタイ先生は勉強がお好きですね。
○ 一番多忙な人間が一番多くの時間をもつ。(アレクサンドル・ビネ)
○ 短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる。 サミエル・ジョンソン
○ 明日はなんとかなると思う馬鹿者。今日でさえ遅すぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。 クーリー
○ 時間の使い方の最も下手なものが、まずその短さについて苦情をいう。 ラ・ブリューエール
時間に関するものをいくつか集めました。最初のがいいです。人気もあるようです。このビネという人、この言葉で有名で、それ以外何者かはわかりませんでした。
○ 医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ (手塚治虫)
やりたいことが一番
○ しばらく二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか。』(キルケゴール) 今日の言葉で一番好きです。
感想をぜひお寄せ下さいませ。
月曜日, 10月 27, 2008
体育会系
診療所の主任医師であることに加えて、産業医も兼務しており、今日は月1回の職場巡視の日です。体育館を巡視することにしました。特に注意してみるポイントは、消火設備と、禁煙の遵守。数年前に小火を出したことがあるので、要注意です。地下1階地上5階建ての体育館をくまなく見ました。吸殻はほとんどありません、消火器もしかるべきところにあります。消火栓もちゃんと使える状態になっていました。ただ、消防隊突入口が、鉄枠で補強されており消防隊が入れないようになっていました。すぐに改善指示をしました。

写真は、伝統あるボクシング部の練習場。もう少し若ければ明日のジョーを目指したはずです。
夕刻からは、淡青会の年1回の総会に出席しました。
淡青会とは、T大学の全学の漕艇部のOB会の名称です。京都大学は濃青がスクールカラーで、T大は淡い青色です。写真の旗が、校旗です。そもそも、明治のはじめ最初にできた運動部が漕艇部で、学部対抗の競漕大会が世間を騒がせた時代があり、その頃に応援団ができています。T大学の広報誌は「淡青」と言います。と言うような伝統があり、漕艇部のOB会を淡青会と呼んでいます。
自分は医学部の漕艇部でしたが、名誉会員的な感じで入れていただいております。現在の会長は、医学部出身で現在78歳、全日本で優勝したときの主将です。実は自分の仲人です。
今年度の会計報告や、戦績報告などのあと、乾杯です。「うぉー」と思い切り大きな声でいきの続く限り叫びます。これを3声、人呼んで「うぉー三唱」と言います。普通のレストランなどですると、他の客がひっくり返ります。一度銀座マキシムでやってみたいです。ちなみに、今日は銀座東芝ビルの最上階「クルーズ」という結構高級なレストランでした。
そして、最後は「春は、春は」の斉唱で終わります。
歌詞がいいです。
春は春は桜咲く向島
ヤッコラセーヤッコラセー
オール持つ手に花が散る花が散る アウーンアウーン
夏は夏は緑濃き綾瀬川
ヤッコラセーヤッコラセー
オール持つ手に蛍飛ぶ蛍飛ぶ アウーアウー
秋は秋は鴎飛ぶ品川へ
ヤッコラセーヤッコラセー
オール持つ手に月が射す月が射す アウーアウー
冬は冬は名にし負う坂東太郎へ
ヤッコラセーヤッコラセー
オール持つ手に雪が積む雪が積む アウーアウー
http://www2.odn.ne.jp/~todai_rc/whatboat/song/haruha.htm
今度お会いしたときに、自分が歌って聞かせましょう。おんちな部分は割り引いて聞いてやってください。
日曜日, 10月 26, 2008
患者会研修


土曜日, 10月 25, 2008
FD
医学部のFD、教員教育研修です。医学部の先生は研究論文などで選ばれますが、教育能力は教育されていません。年1回、自分たちの主催で、教育研修セミナーを開いています。朝9時から5時まで、昼食時も講演をして殆ど休み無しです。
今年のテーマは「リサーチマインドの育成」です。最近、卒業生は臨床医志望が多く、基礎医学に進む人は少なくなっているようです。さらに、臨床でも、診療ガイドラインに準拠した診療のみでより新しい診療を研究することも少なくなっているようです。そのため、学生時代から、研究の楽しさを知らせて、将来の研究者を育てるのがわが大学の使命と、企画されたしだいです。
楽しさを教える、大学院生の経済状態を良くする、、まめに大学院生の相談に乗るなどいろいろな意見が出ました。日ごろ考えていない教育について皆さんで考えてもらっただけで、良かったです。
半日以上、立っていたので疲れました。ワークショップの世話人は疲れます。
金曜日, 10月 24, 2008
えきなか
朝、金沢から帰京。その足で、自治医科大学(栃木県)に移動し、看護学科で授業。
毎年、医療論ということで4回の授業をしています。1430からの授業で、余裕をみて1330に到着すると、なんと、1300からの授業で学生が待っているとのこと。
1時間の短縮授業になってしまいました。テーマは「コミュニケーション」と言うことで、コミュニケーションの失敗がこうなるという良い例ができました。2人ペアになって、両方がたって、次に片方が座って、そして両方が座って会話をしてもらいました。どのような感じを受けるかどうか?
そうです、目線の高さが一致していないと、気持ちよく話せません。そんなお話で、1時間で何とか終わりました。
次に、栃木から品川に移動し、「石川県人祭」に向かいました。2時間も早くついたので、品川駅の「駅中(えきなか)」を散策しました。駅中というのは改札口の中で、遠い駅から買い物に来て帰ってしまえば入場券で済ますことができます。品川駅の駅中の大きさはすごいです、レストランは10店以上、デパートの食料品売り場みたいなものや、ブッティックもあります。駅中は上野駅のも大きいですが、それよりさらに大きいです。1時間くらい平気で時間をつぶすことができます。小腹がすいたので、回転寿司で楽しみました。
それから、18時ごろ、新高輪プリンスホテルで開かれた石川県人祭に出かけましたが、行ってみると、70,80歳の人が多く、50歳はまだひよこ、来る場所を間違えた感じで、受付でごめんなさいと言って始まる前に帰ってきました。「ふるさとは遠きにありて思うもの」と同時に「ふるさとは年取ってから思うもの」と思いました。
それにしても移動距離の長さか、疲れました。ラオス疲れもありそうです。
木曜日, 10月 23, 2008
実家

自分が通った山代小学校の正面です。うちから徒歩5分です。建物は同じですが外装を変えたりして随分変わってきています。 小学校2年生のときに遠くにあったのが我が家の近くに引っ越してきました。その当時、3階建ての鉄筋の小学校は近代化の代名詞でした。


水曜日, 10月 22, 2008
火曜日, 10月 21, 2008
糸こんにゃく大好き
厚生省の会合、外来診療、内科保険連合の会合、そして医学教育学会の国際委員会といろいろ続きました。お昼は箱弁当、夜も箱弁当、それも2箇所でいただきました。
実はラオス2週間で約2kg体重が増えました。原因はわかっています、運動不足とビアラオです。日本のキリンのラガーに似た味で引けをとらないくらいに美味しいです。それに気温が暑いときています。勢い、ビールの量が増えました。
実はラオスにも、焼酎みたいなものがあります。ラオラオといいます。透明でアルコール度が40%くらいの強いもので、独特のにおいもあり、水割りにしても飲みにくいものです。
今日までに1kg減量に成功。でも、お弁当を残すというのは心苦しいです。特に、内科保険連合での土鍋すき焼き弁当は逸品でした。牛肉も美味しく、そこをぐっとこらえて、糸こんにゃく中心に食べお肉は半分以上残しました。 つらいです。
月曜日, 10月 20, 2008
右
おりしも、秋の例大祭の最中でお店が出ていました。
昼間から焼酎を飲ませるお店が出ていました。じっと我慢でした。

いつもの政治ネタお菓子のお店では、麻生さんの新製品が発売されていました。
男前ですかねぇ?

そのお店の前で、いつも三味線を弾いている人がいます。もちろん軍歌です。
胸には「日本人よ胸をはれ!!大和民族の子孫として」とあります。
ほかに右翼の宣伝車もありましたがこのような個人プレーのほうが面白いです。

菊花展も開かれていました。懸崖とよばれる豪華絢爛なものはなく写真の様なものがほとんどでした。


あまり見たことのないものが社殿の前に掲げられていました。
「錦の御旗」です。官軍がこれを先頭に江戸に攻め上ったものです。
もちろん当時のものとは違いますが、大きな菊の御紋がついています。

そして、夜は日本財団で会合。日本財団といえば笹川さんです。
今日は右っぽい一日でした。
日曜日, 10月 19, 2008
日曜日
ラオスの人々の写真を、オンラインアルバムで作成しました。
下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=L7ogfKQFLq
今日は、共用試験機構の認定評価者研修会が昭和大学で開催され、そこでご挨拶と概要の説明に行ってきました。本当は今月3回、京都と名古屋と、東京で開かれているのですが、ラオスに行っていたため、1回目と2回目は欠席しましたが、今回はご挨拶できてよかったです。
昭和大学は旗の台で、意外と近く、楽でした。
土曜日, 10月 18, 2008
帰国しました
無事帰国しました。
朝、610に成田にランドしました。飛行機は結構快適でしたが、お酒の量が少ない生化熟睡とは行かず何度か夜中に目を覚ましましたが、まあまあ許せる範囲でしょう。
車を民間駐車場から取り出し、その足で大学に行きました。いくつかの仕事をかたずけ、1200から日本橋三越の特別食堂で開かれた北星会で講演をしました。「日本の医学教育の改革;医師はどのようにして作られるか?」というタイトルです。
北星会と言うのは、石川県出身者で中央省庁などで偉くなった人たちの集まりで、80歳くらいの人がぞろぞろいました。現役では、人事院の総裁がいました。
夜は、お刺身です。ラオスではだべれなかったもの、それはお刺身ですね。海のない国です。お刺身、それもおいしいのは無理ですね。日本酒と焼酎をちゃんぽんであとは爆睡です。
とりあえず帰国のご挨拶です。
金曜日, 10月 17, 2008
ラオス最終日
下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=3kuDXbz2r4
今日は午前中、病院に出かけいったん帰国する旨のご挨拶。
ところが、タイの内視鏡の先生が大勢来て講堂で学会並みの講演会が開かれそれどころではないです。タイのエーザイやオリンパスの営業の人も大勢来てブースを出しています。
そんな折もおり、骨髄標本を読んでほしいとの依頼があり血液内科医に戻って活躍しました。
1130に病院を出て、1200に空港に着き、15分ほどお店でおみやを渉猟し、1230にはラウンジに下りました。そこで軽い昼食をいただき、1330に飛行機に乗り込み、1400にタイのバンコクへ到着。
時間貸しのホテルにチェックインし、自分と入れ替わりに日本からラオスに向かうチームと待ち合わせました。

A先生とコンサル会社のYamaさん(右)。左はA先生の愛妻。
空港内でにわか引継ぎと、雑談。彼らも5時間くらいの待ち時間があります。
自分は彼らがさったあと2時間ほど寝て、8時にラウンジに行って軽い夕食とメールのチェックをしました。ネットの通信速度に驚愕。まさに、21世紀の世の中を感じました。
2130に搭乗し、2210定刻に成田に向け出発です。
明日の朝6時好きには成田についているはずです。
このラオス駐在を総括すると;
仕事の量はたいしたことはなかったものの、人間関係の功逐にはずいぶん貢献できたと思います。また、ラオスの医学教育の問題点も大変よくわかり、改善の方向が見えたといってもいいでしょう。ただし、予算や時間を要することでありそう簡単に一朝一夕には行かないだろうと思います。
日本についたらまた考えましょう。取り敢えずの総括でした。
木曜日, 10月 16, 2008
ラオス12日目 講演会
朝、感染制御センター(CDC)を訪問しました。臨床検査の総元締めと言うことで、セタ病院の外部精度管理などを助けてもらおうと言う多少の魂胆もあり訪問しました。
セタチラート病院に負けるとも劣らぬ汚さで、その中で、鳥インフルエンザの遺伝子検査まで行っていました。感染症の検査を一手に引き受けているようです。

検査技師学校の学生たちも実習に来ていました。実習といっても楽しそうに本を読んでいるだけですが・・・・

午前10時から医科大学で、同僚のO西先生の講演です。それも2題続けて2時間のぶっ続け講演です。場所は大学の一番のホールです。

さすがに大学の一番のホールだけあって、何気においてある椅子も立派です。

こんなに大勢の聴衆が集まりました。カルガリーや米国からの女性医師たちも集まってくれました。
講演の後にはサポーティブ奈コメントもいただきました。
写真の右端の小柄な女性が医学部長先生です。

午後は病院に戻りいろいろの仕事に集中しました。日本では、研修医のマッチングの日でもあり、大学がどうなったか心配でしたが、幸い、本当に幸にもフルマッチで多くの研修医諸君が来てくれることになりました。

夜はカルガリーの先生方や、日本で研修を受けた先生方が集まって中華料理で盛り上がりました。今回の滞在で一番のご馳走だったかもしれません。

メコンフィッシュの巨大なものが出てきました。から揚げのあんかけです。鯛のような味で、美味です。
ビールを沢山開けました。
水曜日, 10月 15, 2008
ボートレース当日
昨日と同様にオンラインアルバムを作成しました。 下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=3kuDXbz2r4
ボートレース当日は、公式ではないと思いますが、病院もお休み、みんなお休みモードでした。
朝から、それぞれのグループで盛り上がっていました。
レースの開かれる14時ごろに、再度川のほうに出かけました。
招待状をいただいたので貴賓席から見ることができました。
写真だけでなく動画も撮ったのですが、ファイルが大きいので、日本に帰ってインタネット環境がよくなってから皆さんにお見せしたいと思います。
火曜日, 10月 14, 2008
ラオス10日目 お祭り前夜
写真が多くなりすぎたので、オンラインアルバムを作成しました。 下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=wmLnNaQFLq
朝の散歩で托鉢の行列にあったのはラッキーでした。いい写真が取れました。
オンラインアルバムの写真も縮小してあります。もし、今までの写真を含めて大きいサイズを見たい場合はご連絡下さいませ。
月曜日, 10月 13, 2008
ラオス9日目 病院の風景
実は一日、東大でのPBLの新しいシナリオの下調べをしていました。
セタチラート病院の風景を紹介します。
新しい口腔外科外来です。琉球大学の先生方の支援です。随分出来てきました。

こちらは、VIP用病棟で、これはなかなかできません。もう半年以上がたちます。

玄関に盆踊り大会のチラシがはってありました。

庭でヤギさんの親子が遊んでいました。

看護婦の像に子供が挨拶してます。

夜、繁華街に行ったら、入り口でボディチェックされました。感じのよい少年少女たちで、警察友好隊みたいで、きれいな英語で話しかけてきました。

夕飯は、お好み焼き。食べている途中に写真を撮ることを思い出しました。
結構いけます。

ラオスの人は、日本の古い頃に似ています。宗教が生活習慣の一部になっていて、そうするものという感じで受け入れています。自分が小さかった頃の日本も、お正月だから、お盆だからみんなお休みと受け入れていました。それが、便利さを追求するあまり、コンビニは年中無休になり、正月らしさがなくなり、そしてそれと同時に、宗教的な気持ちもなくなってきたように思います。
文明の発展が便利さの追求であれば、ラオスの人にはなくてもいいよう思います。自分の勝手気ままな気持ちと思いますが、文明の発展という美名の元に失うものが大きいように思います。
病気は克服してほしいけど、余分な文明は取り入れないでほしい。わがままな希望ですね。
日曜日, 10月 12, 2008
ラオス8日目 ゴルフ
迎えは病院長(兼国会議員、医科大学長)じきじきです。
今日の1番ホール。朝は涼しいです。20度くらいでしょうか。14時ごろには38℃になります。

今日のキャディ、左が自分についた娘、右は病院長か必ずご指名する娘。

4番、180ヤードの池越えのホール。
ラオスのゴルフのコツは、日傘です。直射日光を避けると結構大丈夫なものです。

前半の9ホールを終えると、病院長は用事があるとのことで帰ってしまい、別の方が入り後半9ホールをしました。
別の先生と言うのが保健省の副大臣です。右がミタハーブ病院の院長、中が保健省の副大臣(カンムーンさん)、左が、保健省の地域医療担当のピーシー先生。

ゴルフのスコアは46,43で合計89で、ラオスの自己最高でした。上がり3ホールはバーディ、パー、パーと良かったです。バーディパットは18mくらいのくだりのフックライン(左曲がり)で、最後のひところがりで入りました。神様は時々は僕の事を見てくれているようです(ずーっと見られても困りますが)。

ホテルに帰ってきて、ワインをあけ、リッツにツナペーストをつけフランスパンもあり、iPodはジュリーです。沢田研二です。カサブランカダンディ、勝手に仕上がれと曲は続きます。
至福の日曜日の午後でした。
土曜日, 10月 11, 2008
ラオス7日目その2 夕陽
見てやって下さいませ




夜店で、お魚(メコンフィシュというそうです)を焼いていました。

真ん中はなまずです。長いひげが見えます。右はイカ、左はうなぎでしょうか?

にわか観覧者もできていました。安全対策など固いことはないようです。

この前の射的の女の子は今日もお仕事です。

にわか竹下通りもできていました。若い女性はきるものに目がないのは世界共通です。

夜は、JICA専門員で看護のプロジェクトをされている佐藤さんと橋本さん、それに協力隊のシニアボランティアの清水さんとラオス料理をいただきました。タムナックラオというお店で、美味しかったです。JICAのプロジェクトも、相手のラオス人が日本のようには働かないのでストレスがたまるとのこと、仕方ないですね。
