月曜日, 12月 31, 2007

大晦日はラオスの7日目

今年一年、大変お世話になりました。みなさん、良い年をお迎え下さいませ。
このブログも、9月から一日も休まず続けることができました。ありがとうございます。

大晦日の今日も、ラオスの病院は普通に始まりましたが、ほぼ半ドンといった感じで、お昼を過ぎると、休日のようになりました。

午前中、大学の第1の付属病院であるマホソット病院へ行ってきました。450床の病院で、今支援しているセタチラート病院(175床)よりはかなり大きいです。大部屋はどれも8人ー10人部屋なので、病床数はすぐに増えます。
医療レベルまでは分からないですが、若手医師の雰囲気は結構やるじゃないのという感じです。聴診器もみんなリットマンので、高価そうでした。


今年も最後ですからいくつかの名言をご紹介して感謝に代えます。

世の中がどんな風に変わっても、
人間が人間らしく生きてゆける世の中である限りは、
義理も人情も、やっぱりあった方がいい。
― 庄野 潤三 ― (『昔も今も』)
*自分はやくざでは無いですが、義理も人情も大好きです。

私が何より憂えるのは、理想への情熱が失われ、
人びとのあいだに倫理への無関心がはびこり、
個々人の刻苦勉励が逆に冷笑される、
そのような風潮が日に日にあらわになってきている日本の社会の現状である。 
― 森本 哲郎 ― (小説家)
*「偽」が今年を象徴するというのは情けないです。来年こそ正義が心の中心;心棒である年でありますように。

家庭料理は料理というものにおける真実の人生であり、
料理屋の料理は見かけだけの芝居ということである。 
― 北大路 魯山人 ― (陶芸家)
*魯山人先生、そうなんですよ。ミシュランとやらに教えてあげたいですね。

人生は愛すること。
そして、愛されることの喜びそのものです。
愛は「与えること」で、一番良く表現されうるのです。
― マザー・テレサ ― (カトリック修道女)
*恥ずかしいくらいの言葉ですが、マザーテレサに言われると、思わず跪いてしまいそうな言葉ですね。
1月1日よりラオスの古都ルアンパバーンというところに出かけます。インターネット環境が悪そうです。このブログは、3日か4日ごろに更新されると思います。

繰り返しになりますが、今年一年、本当にお世話になりました、ありがとうございます。
よい新年をお迎え下さいませ。

日曜日, 12月 30, 2007

ラオス6日目

ラオス6日目。
お休みも2日目、市内で見ていないところもあとわずか。
トクトクという三輪おんぼろタクシーに乗ってやや郊外に出かけました。

タートルアン、黄金の寺。ラオス版金閣寺といったところですね。空の青さが印象的でした。
織物博物館は個人で開いているもので、伝統の美が見れました。案内していただいた方の品のよさが印象的。町でLao Silkの最高級店を開いているのですが、謙虚で優しかったです。

昨日とは違った市場。野菜と魚と肉を扱っています。すごい迫力。

メコンの夕日を見ました。感動的です。あとは宴会。


今日の写真は下記のURLからご覧ください。
http://www.imagegateway.net/a?i=29wDXXHnTo

今年もあとわずかですが、ラオスは平穏です。月曜からまた普通のお仕事です。

土曜日, 12月 29, 2007

ラオス5日目

ここへ来て初めての休日いい写真が取れました。なんと一日で200枚も取りました。デジタルカメラの勝利ですね。フィルムではありえないことです。

午前中は資料書きなどそれなりにお仕事をして、お昼から出かけました。
まずランチを食べ、メコン川を見て、お寺を1つ2つ拝観しました。
ランチのサンドが巨大です。フランスパンを半分丸々サンドにしています。250円です。メコン川を見ました。水が少なく、それでも大河であることはよくわかります。対岸はタイ、首都が国境にあるというのは珍しいですね。
お寺はワットホーパケオ(王宮寺院)とワットシーサケートです。写真で見て下さい。
それから市場に行きました。テント張りの中に無数のお店が出ています。
夜はブンサイ先生のお宅に招かれ食事。なんとお庭にテントを張り、お客さんだけで20人くらい、それに家族の10人と親戚の10人を加えて総勢40人くらいの大パーティでした。医学部副部長、歯学部副部長、イタリア人で周産期をしている先生、日本から来た歯科の先生、セタチラート病院の事務長さんなどなど人脈の廣さが伺われます。奥さんは若く、一番下のお嬢さんがまだ10歳です。
ホテルに戻ったら、ホテルでも新年を迎えるパーティをしています。口々にhappy new year、最後は大ディスコ大会になりました。
今日の写真は数も多いですが質も高いです。お勧めです。
http://www.imagegateway.net/a?i=JDwkNZeEUJ

金曜日, 12月 28, 2007

第4日目28日

ラオス4日目。もう4日目です。ずいぶん慣れましたが、多少疲れも出てきました。
朝食で、おかゆにチャレンジ。美味しかったです。やはり日本人、朝はやはりご飯ですね。写真はなし。
9時30分から病院で幹部職員が集まり年末の式典があると聞き、参加しました。そしたら、会場の一番高いところに座らせられ緊張。副院長の今年のまとめに続いて、日本の援助に対する感謝が述べられ、舞台の中央で花束をいただきました。
それが終わったらまだ10時過ぎだというのにワインが出て大パティ。それも、口々にHappy New Yearといって乾杯します。日本人の感覚ではカウントダウンが終わって年が明けてからあけましておめでとうなのに、ここの国では大雑把です。
そういえば、どこもまだクリスマスツリーを片付けていません。
今日はカメラのバッテリーが切れたので写真はほとんどありません。
午後は、内科にお邪魔して、インタビューとミニ回診。貧血の患者についてみましたが、かなり診療レベルは低いです。北村 聖でも簡単に診断できることが全くされていません。少し学生を相手にケースカンファランスをする必要がありそうです。
仕立てた白衣ができてきました。さすがオートクチュール、おなかが出ているのがあまり目立たなく満足です。
ラオスの人々は、ゆっくり、のんびりしていますが、決して怠慢では無いです。むしろ勤勉です。外来も8時半にはもう外来受付を終わった患者が沢山いますのでたぶん8時頃から始まっていると思います。でも、スローなのです。というよりのんびりなのです。日本の古い時代、あるいは田舎の雰囲気を感ずるのはこのためだと思います。

夕飯はワインカーブがそのままお店に成っている所に行きました。両側の棚一面ワインで、その中で好きなものを選んで飲みながらチーズやハムをいただきました。ここはラオスかと疑うお店でした。
 
テレビのBBCで今年逝った人を特集していました。その人たちのピークの映像とともにその後の社会貢献なども紹介されていて、社会に何を残したかが大事みたいな放送でした。今年逝った人で思い出のある人はいますか?BBCの最後はババロッティの歌声でした。北村 聖は自分の母ですが、その次というと、植木等でしょうか?宮沢喜一でしょうか?木原美知子でしょうか?どなたもそれほどのインパクトは無いかもしれないですね。

木曜日, 12月 27, 2007

ラオス三日目

ラオス3日目だいぶ落ち着いてきました。
朝下着を洗濯やに出すと、パンツとシャツと靴下各々3つ合計で250円くらいでした。
午前中は、ICUの視察、日本が作って装備も設置しただけあり、日本の田舎病院の患児で違和感が無いです。中心的に働いているのが60歳くらいのフランス人のボランティア医師で頑張っています。ただ、10床のうち4床くらいしか患者がいないのにがっかりしました。隣の分娩室は開放的で、次々に赤ちゃんが生まれていきます。病院の中で幸せいっぱいの一隅です。

お昼はチャーハンを食べたら、日本のよりはるかに美味しいかったです。100円です。信じられないでしょう。
午後は外科の先生にお会いしたり、医学教育の現状の細かいところを聴取したり、JICAに挨拶に行ったりしました。

夜、タイ風カレーのお店に行きました。魚カレーをいただきましたが、これがまた、ホントウニ美味しいかったです。言葉で表現するのは難しいですが、あえてトライしましょう。まず、突合せの芋とインゲンのカレー風味の煮物が美味しい。それほど辛く無いカレー味で、メインディシュへの期待感を高めます。その前に、スープを一口飲みます。魚でとっただしで中華風ですが日本人にもなじみの味です。わけぎが魚臭さをなくしています。そしてメインのカレーです。今日はご飯でなくナンでいただきます。非常に薄いナンで、それにカレーを乗せて食べます。カレーは甘口、刺激的ではありません。魚は身だけにして軽く揚げてあるようです。食べ終えたすぐに手が勝手に次のナンを取ってカレーをまきだします。止まらないです。これにラオビアがぴったし。
食後、メコン川べりを散歩し帰ってきました。ホテルのベランダの籐のいすに腰掛けウィスキーを食後酒に飲むと、さわやかな風が吹いてビエンチャンの夜は更けてゆきました。

写真は昨日と同じアドレスに追加しておきます。夕飯だけ特別に掲載します。

水曜日, 12月 26, 2007

ラオス2日目医科大学

ラオス2日目。
朝は曇っていて珍しいなぁと思っていたらすぐに快晴になり、体感的にお昼ごろには30度を超えました。夜は夕涼みに良かったので23度程度でしょうか。12月は乾季で、雨はまったく降りません。空気も乾いており、メコン川の水も少ないです。

午前中、医科大学のほうに出かけました。ラオスで唯一の医科大学です。人口500万人ですから、仕方ないかもしれません。大きさはちょっとした高校くらいの大きさで、講義する棟も2,3棟、でこじんまりしています。学生は一学年300人程度。6年制で共用の1年目は国立ラオス大で行うそうです。解剖実習はなく模型で済ますそうです。感動したのはPBLという少人数講義を青空のもと庭の円卓でやっていたことです。教科書が重なるように広げて真剣にやっていました。部屋が無いのが理由ですが、傍目から見るとのどかですばらしいと感じたしだいです。

午後は病院に戻り会議に出席。会議が退屈で眠くなるのは古今東西変わらないことですね。帰りに、JICAのシニアボランティアで長期滞在中の看護婦さんの家に寄ったら、すごい豪邸でした。2階建て、床は磨きこまれたタイル。部屋に機織機を設置して趣味でラオス織りを楽しんでいるとのこと。でも一人で住むには寂しいかも。

病院で着る白衣がほしいと思ったらどこにも売っていなく、そういうものはテーラーで仕立てるものと判明。早速採寸して2着作ることにしました。1着25ドル、日本用とラオス用の2着を注文しました。水曜日の夕方注文して、金曜日にできるそうです。

夕飯はフランス料理系のお店へ。お肉のつもりで注文したらえびの焼いたものでしたが、いたって美味しく、正解だったかもしれません。ラオスの旧宗主国はフランス、それゆえ、フランス料理と、ワインは一流です。その昔は中国の属国だったので、中華もそこそこ、太りそうです。

写真のアドレスは
http://www.imagegateway.net/a?i=L9okcXHnTo
古い写真が出てきました。ちょうどこの時期の富士山です。2003年の富士山です。http://www.imagegateway.net/a?i=p1smXJQ3po
ついでに見てやってください。感想もお願いします。

火曜日, 12月 25, 2007

第一日

写真は別に公開することにしました。
http://www.imagegateway.net/a?i=L9okcXHnTo
ここで見て下さい。写真の回転の無いものがあります。
首を90度曲げてみてください。


宿泊中のホテルです。

みなさん、クリスマスはいかがお過ごしでしたか。
ビエンチャンでの第一日目。旅行のため、昨日は爆睡。ゆっくり朝シャンして、パンと目玉焼きの朝ごはんをしっかり食べて活動の拠点であるセタチラート病院へ出勤。ホテルから車で15分くらいですが、もう待ちの郊外といってよく途中は田園地帯が広がっています。午前中は病院全体の見学。写真は病院全体像、外来受付、学生たち。

 病院の玄関と外来受付

お昼は、自分は麺。サイドディシュの野菜をたっぷりとかけて食べます。同伴者はご飯に野菜煮込みをかけたもの。見た目より美味しいらしい。


午後は、臨床検査部と病理部を見学視察。日本びいきの病理の先生がいて話が弾む。どうもこの国には病理医は4人しかいないみたい。教育体制も無いし、人気も無いようです。臨床検査医は存在せず、技師だけの世界であるようです。夕方町に戻って都心部を散歩しました。町は日本の田舎町のようです。一番大切なことですが、無茶苦茶安全です。警察官の姿は全くありません。怖いと思うような人もいません。むしろ観光客のバックパッカーのほうが怪しげです。英語はほとんど通じません。お金は1ドルが9300キップkipです。物価は安いです。ビールを飲んで、腹いっぱい食べて5-7ドルです。歯磨き粉と、コカコーラーとオレンジジュースのパックを買ったら4ドルです。写真は、町並み、風船売り、電飾のツリー、地ビール。大事な夕飯を写すのを忘れました。
 町並み

月曜日, 12月 24, 2007

無事到着


多くの方から誕生日のお祝いのメールや電子カードをいただきました。ありがとうございました。
そして無事にラオスのビエンチャンに着きました。
時間に沿って書いて行きます。
前日のゴルフ疲れが残って何も用意していないのに眠りコケ、530に目が覚め、ほとんどパニック状態で荷物をつめて、630に車で出かけ、800に成田の民間駐車場へ。順調に手続きを済ませラウンジには9時前に入り、10時過ぎまでメールなどをして時間をつぶししました。
タイ航空1045成田発バンコク行きボーイング777、新型機です。成田は晴天で、上空から東京の高層ビル街も見えました。写真は、銚子港と犬吠埼、地図のとおりに見えました。機内は、映画もオーディオも日本語系のものがなく、隣にわがままそうなフランス系の大男が座るわで、寝たり、本を読んだりして過ごしました。タイ航空の料理はいいですね。お酒は久保田の万寿を合計三合弱。実は映画は、命-風に吹かれてといったようなタイトルの実話映画をちょっと見ました。ウィンドサーフィンのプロが癌で家族を残してなくなるというストーリーで仕事柄かあまり好きなジャンルで無いので途中でやめました。つらい話です。
バンコクに着いたのは現時時間で1600頃。日本時間の1800頃。約7時間乗っていたことになります。次の便は1935なので、約3時間待合室でネットをして過ごしました。次の便がエコノミーなのでラウンジが使えず、固いいすで3時間は、意外と疲れます。
飛行機はボーイング737、結構古い機体で、それもバスではなれたところから乗るのでちょっと不安。夜行便で、夜2100頃ビエンチャン空港に到着。仲間が迎えに来てくれてすぐに声をかけてくれ緊張の糸がどっと緩みました。町の中心のホテルまで車で15分くらい。快適な長期滞在型のホテル。本館3階建て、別館2階建てで、わが部屋は別館2階。家具は全て籐の家具。お風呂はまずまず、タオルがあるだけですが満足。インターネットは無線ラン、まずまず快適です。
疲れてお風呂にも入らず寝てしまった。記憶に残る誕生日でした。



日曜日, 12月 23, 2007

イブ前日

朝起きたら、6時。遅刻だぁーということで大急ぎで準備して出かける。
ゴルフのスターを30分遅らせてもらいましたが、もとの時間でもぎりぎり間に合ったかも。
外は雨、それも氷雨。写真は雨のゴルフ場。

スコアは50と48で98、先週よりひとついいだけでがっかり。
お昼のチャーシュー麺は見てくれはよくチャーシューもいいのだけど、麺に腰がなくてあきまへんでした。


夜はささやかなクリスマス。写真はろうそくの気流でメリーゴーランドが回るおもちゃ。羊飼いたちが、ぐるぐる回ります。
 
そして夜遅くまでパッキング。
みなさんどんなクリスマスをお過ごしでしょうか?
たまにはメールください。

土曜日, 12月 22, 2007

ケーキ

房総半島の先の金谷港と三浦半島の久里浜を結ぶ東京湾フェリーというのがあり、初めて乗りました。曇りで眺めはよくなかったですが、35分のミニ船旅はいいものです。
金谷港の近くのお魚屋さんは大盛で美味しいです。銚子もよかったけど金谷もいいです。お肴がしばらく食べれないと思うと寂しいですね。

写真は次女の作品。
自分の誕生日のケーキにはいつもメリークリスマスと書いてあって、お誕生日おめでとうというケーキをいただいたことがないです。

金曜日, 12月 21, 2007

忘年会

研究室の忘年会と、退職される方の送別会と、ついでに自分の誕生日をかねた飲み会をしました。
場所は後楽園の、ベースボールカフェというところで、アメリカスタイルで、やや騒がしいものの楽しめました。
研究室は全員参加で、総勢12名、退職される方の涙に、こちらもちょっともらい泣き。
ぬいぐるみは記念撮影だけのものです。
東京ドームの電飾はほんとうにきれいでした。
 

木曜日, 12月 20, 2007

球技

写真が悪くて恐縮ですが、なんと言うスポーツかわかりますか?

ラクロスというスポーツです。東大は強くて学生チャンピオンにもなっているそうです。
1.5mくらいの棒の先に直径15cmくらいの網が着いていて、テニスボールくらいのボールをその網に入れて運びます。上手にパスをしたり、シュートをしたりします。基本はボールをもって走ることのようです。ホッケーににています。ゴールのうらっかわまで行けるのもホッケーとかアイスホッケーに似ています。朝早くから練習しています。女子マネが元気です。一番声が大きいですね。

球技を分類すると、
1.サッカー、ラグビーなど相手方ゴールに球をいれて得点を争うもの
2.テニス、卓球などのように相手と打ち合って得点を争うもの
3.野球、ゴルフのように独自の発展をしたもの
などに分けることができます。
ラクロスは1に属します。バスケットボールは1で、バレーボールは2ですね。

団体球技の別の分類で、競技者が役割分担されているものとされていないものに分けれます。
野球やアメリカンフットボールなどは役割がきわめて明確ですね。投手のでき次第で試合が決まりますし、クオターバック(QB)次第で勝負が決まります。
サッカーやバレーボールなどは役割分担が緩やかです。ルール上は役割の違いはないですが、戦術でセッターとかアタッカーを決めています。

役割分担の明確なスポーツはすべてアメリカのスポーツです。野球も投手とか4番バッターなどのヒーローを支えるその他の選手、フットボールもQBや走りこむレシーバーを支えるその他の選手という構図です。アメリカのような他民族国家の場合、白人ヒーローを支えるのも立派な仕事と社会を洗脳しなければならなかったものと想像します。長い間QBは白人、それを守るために黒人の大男が取り囲むのが当たり前でした。
社会には優れたリーダーが必要です。だけどそれをスポーツに持ち込むのはどうかなぁ?緩やかな役割分担程度がよさそうかもしれません。

下の写真は夕飯を食べたおすし屋さんの大将。美味しかったです。ばら寿司が自慢です。

水曜日, 12月 19, 2007

逆さ時計台


安田講堂と三四郎池です。
東京大学の時計台として有名ですね。これが三四郎池に映り逆さ時計台として写真が取れるスポットがひとつだけあります。それも、冬になって樹の葉っぱが落ち葉になっている季節にしか撮れません。
そこで一枚撮ってみましたが、水面が波打っていて余りよくありませんでした。
また行ってみましょう。

火曜日, 12月 18, 2007

元気になりました

ようやく風邪から完全回復。
WHOの健康の定義には、身体的健康、精神的健康、さらに社会的健康が謳われています。
最近、それに加えSpiritualな健康も取りざたされています。(提案されるのですが、採決、批准が最後までいっていないようですね。)
このスピリチュアルな健康とは何でしょうか?下手な翻訳には霊的とありますが、霊的健康と言われても何のことかわかりません。
この提案が、イスラム諸国から出たので変にとらえる向きもあります。

自分が考えるスピリチュアルな健康とは「気」と思います。「気合」の気です。「やる気」の気です。やる気のでない日というのは、決して精神病であるわけではないので精神的な不健康ではないのですが、スピリチュアルに不健康といえると思います。
その意味で、完全復活、やる気満々、おかげさまで元気になりました。

月曜日, 12月 17, 2007

ラオス前

ラオスの先発隊から情報が届きました。以下に引用します。
ビエンチャンに行くのが楽しみ楽しみ

*******************************
お疲れさまです.ラオスの状況についてお知らせします.
まず,飛行機について.おそらく全日空だと思います.タイ航空でも,新しい第1旅客ターミナルの南ウイングから出発することについては違いありません.手荷物は,キャスター付きなど歩行時重くないものを工夫されることをお勧めします.南ウイングは電車には乗らないものの,歩く距離が長いからです.また,タイの新しい空港(スワンナプーム空港)はそれ以上に歩く距離が長いです.タイの空港では,タイ航空のビジネスラウンジに行けば,ネットが使えました.
ラオスに到着すると,特にビザは要りません.入国書類の入国目的は観光にして下さい.ビジネスとしてもおそらく「JICAだ」と言えば大きな問題はないとは思いますが,不要なディスカッションは減らしましょう.換金は,1ドル=9200キップ(Kip)以上のレートなら空港でしてもいいと思います.100ドル分ぐらい換えておけば,とりあえず1週間は暮らせると思います.米ドルが使いやすいので,米ドルをお持ちいただくのをお勧めします.
ホテルは1泊税込み35ドルぐらいなので,全て合わせて1000ドルで毎日酒を飲んでおいしいものが食べられます.空港では,○○さんがおそらく迎えに来ているかと思いますが,場合によっては,我々の宿であるDay Innの誰かが紙を持って立っているかもしれません.宿は,ツインベッドの部屋です.冷蔵庫,TV(NHK視聴可)があります.ネットはワイヤレスでやや遅いですが使い放題です.風呂は薄っぺらい石けんと,安物の液体ソープ,シャンプーが備え付けられている程度なので,品質にこだわる場合は持ってきた方が無難です.髭剃りも要ります.ドライヤーはありません.ちなみに,電源は220Vです.プラグは,日本のものが入る形状ですので,間違って100Vにしか使えない電化製品を使わないようにして下さい.
部屋は蚊が多いです.なぜか,ほとんど刺されないので,あまり神経質にはなっていないのですが,気になるなら虫除けかベープマットなどを持ってくるのも手です.ちなみに,蚊はデング熱予防の観点では気になります.
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/asia/lao.html

食事ですが,朝はホテルで出るそうです.私はまだ一回も朝食を食べてないので詳しくは知りませんが,おそらくフランス系のパンと飲み物などが摂れるのではないかと思います.これは宿代に含まれます.昼食は,病院の食堂がなかなかおいしいです.ベトナムのフォーのような麺,炒飯,その他おかずとご飯など色々あります.まだラオス語のメニューが読めなくて,どういうメニューがあるのかの全容が掴めませんが,明日から現地スタッフを一名雇うので,彼女にメニューの翻訳版を作ってもらう予定です.昼食は6000~10000Kipです.
夕食は近くに中華,イタリアン,フレンチもどき,ラオス・タイ料理もどきなどが色々とあります.ラオス・タイ料理もどきは竹の篭にモチ米の蒸したものが入って出てくるのですが,これはついつい食べ過ぎてしまう少しヤバい食べ物です.おいしいです.ビールはビアラオというラオスビールがあります.やや香りが薬品っぽい気もしますが,味は悪くはありません.ワインの好きな○○さんや△△さんは,他の途上国に比べてワインのレベルが値段の割には高いとご満悦です.
夜まで飲んで外をほっつき歩いても,治安は全く問題ありません.天国です.
今までのところ,誰も下痢したりしてないです.サラダも食べてます.トイレはあまり公衆の場にはないので,どこかに行ったときには済ませてから外に出ることをお勧めします.一応危険情報です.

http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=20
アフガニスタンに比べたら安全という意味で,日本よりは一応危ないのでしょうね・・・

交通の便ですが,最初のうちはJICAの言いつけ通り,以前使っていた車を使わずにいました.しかし,ホテルから病院までは約5キロほどあり,バスはおそらくなさそうであり,先発隊にはトゥクトゥクでの移動を強いるしかありませんでした.私が到着する前日ぐらいに,JICA本部から「車を使って良い」という連絡がありました.車がないと,はっきり言って仕事は非常にしにくかっただろうと思います.■■先生曰くトゥクトゥクは危ないとのこと.当然ですね.道路は乾期なので砂埃が多く,髪もゴワゴワになります.今日からエアコンの利いたランドクルーザーでの通勤になりました.この点はご安心下さい.

洗濯は,ホテルだと1日200円ぐらいするでしょうか.20000Kipと言えば大金のような感じがしてちょっとためらいます.私は4日間程溜め込んで近くのクリーニング屋に今日出しました.今後最も効率のよい方法を追求する予定です.クリーニングを外注するのは私が今日初めてトライしていることなので,結果については○○さんにお尋ね下さい.

近所は,大体は歩いて行けます.メコン川が見えるところにも歩いて行けます.ただの臭い川でしたが,タイ側が見えるのは日本にはない感覚でした.日中は歩くとかなり暑いです.東京の9月初旬の天候といったところでしょうか.朝夕はかなり涼しく,長袖の方がいいかなと思う感じです.1日目の夜に毛布をかけずに眠ってしまい,私は風邪を引きました.日中は,かなり暑く,日差しもきついので,日光にも気を付けて下さい.
挨拶は,まずは誰かにあったらどの時間帯,どういう人であっても「サバイディ」で良さそうです.ありがとうは「カプチャイ」.とりあえずこの2つでいいでしょう.How much?はラオ語で訊いても数字で答えられたときに認識できないので,How much?と尋ね,電卓で値段を教えてもらう方がいいです.
朝市では値段交渉が必要ですが,他の店では特に値段をごまかすような人はいません.私にとっては,コカコーラzeroの350ml缶や390mlペットボトルが5~6000Kipで近くに売っているのが大変ありがたいです.

日曜日, 12月 16, 2007

じょうねつ大陸

久しぶりのゴルフ、寒かった。朝、3℃でした。
霜が降りて、一面真っ白でした。パターグランドでは足跡やボールの後がよく見えました。見るからに寒いです。
スコアは前半45、後半54、合計99.午後、強い風が吹いて軟弱な自分はもうぼろぼろでした。風に負けない体力と胆力をつけないといけません。

朝日が、まぶしいと思うような写真が取れました。
夜、風林火山の最終回。回想シーンが多くて、終わりそうで終わらなく、緊張感の少ないだらしない終わり方でした。ガクト人気(おばさんがたに大人気)で持ったようなものでした。
また、友人の佐藤康光さんが、情熱大陸という番組に出ていました。9月から密着取材されていましたが、30分番組だと、どの場面も短かったですね。番組は楽しめましたが、表面的な捉え方で、将棋の異才という面を強調しすぎていて、友人としては、「もっともっと普通の人なんだけどなぁ」という感じでした。

土曜日, 12月 15, 2007

ぼろ市

久しぶりの休日午前中「課外授業」という番組を見ました。バレーボールの全日本キャプテンの吉原が北海道の小学生にキャッチバレー(はじくのでなく、一度キャッチして3回目に相手に投げ込むルール)をコーチしていました。たった二日間で子供たちは見違えるようにうまくなっていましたね。それと、トスとかバスにありがとうの気持ちをこめましょうというのが印象的でした。

午後は世田谷のボロ市に行きました。
患者さんでこの商店街の人がいて、
「ボロ市は12月と1月の15日と16日と決まっていて、今年は珍しく土曜、日曜ですので、先生、ぜひ来てください。」
「そんなに珍しいですか?百年ぶりとか・・・」
「いえ、大体7年に1回です。」
「ハレー彗星並ですね」
「あれは76年です。」
という会話があって、ボロ市に行くことにしました。
混んでいました。地面から人間が湧いてきたように混んでいました。
売っているのは、骨董、せんべいやうどん・カレーなど持ち帰り用食品、チョコバナナやおでんなど屋台、臼と杵・大鍋などの雑貨、などなどあらゆるものが売られていました。それも安い。ネクタイ1本500円。骨董の茶道のお茶碗2500円くらいなど。
骨董のお皿とお茶碗を買い求めましたが、どうも評判が良くなく、鑑定団に出すと3個で500円の範疇との結論になりました。
当たりは、5袋1000円の割れせんべい。美味しかったです。

世田谷千世田谷駅とボロ市風景、雑貨屋さんですね。
 
ひょうたんの置物や古道具屋さん
 
ぼろ市らしい古着屋さん。自分もお昼を食べながら商売です。

夜は銀座で忘年会。久しぶりの銀座でブランドメーカーのビルの立派さにおのぼりさん状態でした。

金曜日, 12月 14, 2007

たまには日本史

朝、金沢から帰京し、自治医科大学看護学部で講義。プロフェッショナリズムのお話。看護婦の中の看護婦とはどんな人か?という話。免許を持っている、知識が豊富、経験があるなど表面的な意見が目立ったので、結構強く叱ったら、その後は誰一人寝ずに、眼を輝かせて授業に参加してくれました。

夕方自大学で少人数講義。「自分が一生、医療事故を起こさないようにするためには・・」というテーマでKJ法で話し合う。その後、学生たちとノミニュケーション。

日本歴史の名言(河出文庫)という本を読みました。日本史の場面、場面での名言とその背景が書いてあり、楽しみながら日本史の復習になりました。
ひとつ二つご紹介します。

虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願ひも尽きむ (空海)
空海が高野山を開いたときの、「永遠の誓願」の一説。意味は、文字と逆で、この夜がある限り、ひとがある限り、悟りの世界がある限り、自分の念願は限りなく行き続ける。その念願とは、いきとして生きるもの全てが仏の救済に預かることだそうです。

七生まで只同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばや (楠木正孝)
楠木正成の弟。足利尊氏に敗れ、正成とともに自害するときに、正成に何を念じたと聞かれたときの言葉。仏教では人間に生まれるのは7回までと決まっているそうで、そのたびごとに尊氏を滅ぼしたいとのこと。これが、戦時中のスローガン「七生報国」の元になったそうです。
どういうわけか、自分は中学でも、高校でも南北朝の頃の話を訊いていないように思います。鎌倉時代からすぐに応仁の乱に飛ぶのです。室町以前は飛ばされ、室町時代は文化が中心で政治は義政のみ、したがって日本史の空白が生じています。

国家人民のためにたてたる君にして、君のために立てたる国家人民はこれなし (上杉治憲 伝国の詞)
治憲は鷹山(ようざん)という号のほうが有名ですね。上杉家は謙信亡き後、江戸時代は米沢藩15万石まで小さくされ、その頃に出てきた名君です。

ああ、飛騨がみえる! (女工哀史)
ああ野麦峠の中に出てくる言葉ですね。映画では大竹しのぶが演じていました。

総じて、政治家、武士の言葉は演説であり、人民を鼓舞するものであり、またパフォーマンスに似た建前の世界であり、彼らの言葉は「くさい」ものが多いです。意外とというか、さすがというか、宗教人の言葉は大きさを感じるものが多いですね。高杉晋作がどの範疇に入るか分かりませんが、彼もとぼけて大きいです。

三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい

木曜日, 12月 13, 2007

山代

今日、金沢医科大学で講演があり、朝720の飛行機に乗り、山代温泉の実家に寄ってきました。飛行時間は45分、降りて、レンタカーを借りて、20分くらいのドライブで自宅になります。915くらいに自宅に帰りました。
父が平成16年2月、母が、今年3月に亡くなり、今は空き家ですが、元気よく「父ちゃん、かぁーちゃん、ただいま」。
ストーブを出して灯油を入れ火をつける。水道の元栓を開き、トイレが使えるようになる。同じことをするにも、高原の別荘に来たときと親のいない実家に来たときでは気持ちがずいぶんと違うものでしょうね。ちゃぶ台で、講演の資料作り。親がこの世にいないことがしみじみと寂しくなります。外は雨、それも強い雨です。

水曜日, 12月 12, 2007

偽り

今年の世相を表す漢字は「偽」でした。ギというより、いつわりと読むべきでしょうね。
あまりにネガティブな字だったので驚きました。予想が外れてよかったです。
「あまりの驚愕のきわみにて、ただ悄然とするの外なし」
去年は命、未来への希望を感じることができます。今年の偽は、その年を表すのにあまりにネガティブイメージの字です。

このブログでは政治的な話は禁句とし、また他人を非難することもほとんどしないようにしていましたが、今日は避けて通れないです。非難の対象は「我が国民」あるいは「大衆」でしょうか?人民でも、市民でもいいのですが、大衆がぴったしでしょう。
今年は、ミートホープや白い恋人に始まり、赤福、比内地鶏、さらには船場吉兆まで食品を中心としたいつわりが多い年でした。でも、前も姉歯建築士たちの偽りもありましたし、政治家は昔も今も偽りだらけです。ナノに、今年だけ偽りの年と感じるのはどうしてでしょうか?食品の偽りだからでしょうか?マスコミが騒ぐからでしょうか?
自分は、別に赤福を食べておなかを壊したこともなければ、とくに被害を受けてはいません。比内地鶏はたぶん食べたことは無いし、白い恋人もここ数年食べてはいません。吉兆にいたっては、但馬牛の味噌漬けはお目にかかったこともありません。なのに、テレビに出てくるおばさんは、「吉兆まで偽りだと、いったい何を信じていけばいいのでしょう?」とぬけぬけといっています。見た感じ、吉兆でお食事をしたり、吉兆のお肉を自宅で召し上がるタイプには見えません。
我が国民は、我が大衆はあまりにもマスコミの喧伝に流されてはいませんでしょうか?実際自分が被害には全くあってもいないのに、今年は偽りの年と思って投票行動をしてしまった結果、「偽」の年になりました。それより、年金のほうが自分に関係するのに、消えた年金のことを忘れてしまっている。この人のよい我が国民を怒らずにおられようか?

火曜日, 12月 11, 2007

電飾

明日は漢字の日だそうです。清水寺では今年の世相を漢字一字で表します。
今年の字は何だと思いますか?去年は「命」でした。

自分は「消」と思います。消えた年金、安倍さんの退陣、朝青龍のお休みなどありました。
あたったら1000円というかけしませんか?

さて、この時期、電飾がきれいなので、いくつか撮って見ました。
東大医学部本館が電飾で飾られていました。
見る角度を変えてよく見てください。銀杏の樹もちゃんと写っています。
 

近所の庭の電飾と飾りです。20軒くらいのブロックが競うように電飾を施している町があります。
遠くから見に来る人たちで大賑わいです。
 

最後は宮古島のホテルのツリーです。

電飾を撮るコツは、デジカメのフィルム感度(フィルムでは無いけれどそういいます)を
ISO100をISO400 くらいにあげることです。多少粗くなっても、よく取れます。
後は手振れを起こさないようにカメラを両手で持ち脇を締めることですね。

月曜日, 12月 10, 2007

歌舞伎町

靖国神社の銀杏も今が盛りとまっ黄色です。
 

今日の忘年会は、インドネシア支援チームが久々に会ってやりました。
場所がなんと新宿歌舞伎町、コマ劇場のすぐ裏です。
新宿歌舞伎町に出かけるのは何年振りでしょうか?ちょっと緊張しました。
相変わらず客引きの兄ちゃんがうろうろしているわ、ひげの生えた女装の人は居るわ、
大変なところですね。

昭和54年、55年ごろ、大久保にあった社会保険中央病院と、若松町にある国立医療センターに勤めていた関係で、大久保通り、職安どおり、そして歌舞伎町あたりが毎週のように飲み歩く場所でした。
昔も今もほとんど変わらないですが、昔は薬屋さんの接待というのも歌舞伎町であり、料亭で津軽三味線を始めて聞いたのも歌舞伎町でした。また、歌舞伎町の真ん中にバッティングセンターがあり、酔っ払った勢いで野球のバットを振り回していました。

あの頃の歌舞伎町はよかった。



日曜日, 12月 09, 2007

健康ランド2

あいち健康ランドで合宿形式の研修会でした。
部屋からの朝日が最高でした。濃美平野が広く地平線まで見えるようでした。



あいち健康ランドは廣い広い講演の中にある複合施設で、プールや、研修棟、宿泊施設、温泉、売店などがあります。大府市にあり、不便なところで黒字では無いです。言ってみればバブルの遺産のようです。
 

公園はまさに秋、もみじを挑戦的に撮ってみました。
赤い山茶花は風に揺れてピントが合わないです。
 

秋の空、これもきれいでした。隣に国立長寿医療センターがありました。
加齢医学の中心地で、こんな田舎にあるとは知りませんでした。
その隣には愛知県のこども医療センターがあります。無いのは普通の大人だけです。
 

お昼ごろまで居て、午後帰ってきました。
風邪のほうは小康状態、倦怠感は少ないですが、咳と痰がひどいです。