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木曜日, 8月 07, 2008

 旭川のお刺身、なぜマグロ?
朝、大阪から戻り、面談や文部省の会議などに出席して、夕方今度は旭川に移動しました。
ところで、最近、耳の形をほめられました。ちょっと意外でうれしかったです。
自分の両親は共稼ぎだったため、子供の頃は母のおばさんにあたるおばあちゃんに育てられました(苗字が小滝なので、小滝のおばばが愛称です)。おばあちゃんは一人暮らしで、幼稚園や、小学校が終わるとおばあちゃんのうちに帰って、母が迎えに来るまで一緒にいました。幼稚園や小学校低学年はお昼ごろ終わったので、結構長い時間一緒にすごした気がします。外の遊びに熱中し、行方不明になることも多く、結構しかられました。井上靖の「しろばんば」という小説があり、おばあさんとの二人暮らしが良く書かれていますが、まさにあの暮らしでした。
小滝のおばばは、人の前では自分のことを結構ほめてくれました。とはいえ、結構やせた幼児でしたから、ほめるところも無かったのでしょうか、耳の形をほめてくれました。「この子の耳はいい形しているから、利口で、将来偉くなるよ」という感じです。自分では見えない部分で、結構恥ずかしかったですね。
長いこと耳の形なぞ思ってもいませんでしたが、ひょんなことでほめられて、小滝のおばばを懐かしく思い出しました。いまは、ひげをそるときもちょっと耳の形を意識しています。

水曜日, 4月 23, 2008

聖火

聖火リレーでいろいろもめていますね。今やっているのは、聖火リレーというより聖火の護送です。そこまでしてする意味があるかどうか疑問を感じます。隠れてする聖火リレー、見えないように走る有名人ランナー、いずれも逆説的ですね。

自分は今までに2度、聖火リレーを見たことがあります。一度目は東京オリンピック(1964年)。ギリシャから届いた聖火は4つか5つのルートに別れて全国を走りました。自分は小学校4年生で、石川県を走り抜ける聖火を学校の課外活動として見に行きました。ルートは国道8号線で、学校から徒歩30分ほどあります。通過時刻の約1時間前に田んぼの真ん中を走る国道の両側に並んでまっていました。まず遠くに白い煙が見えて、それからパトカー(まだ珍しかった)数台のあとに、白バイに囲まれて聖火ランナーが駆け抜けていきました。その後ろを数人の同じ衣装の補欠ランナーが駆けて行きました。上下真っ白の短パンのユニホームと長く伸びた聖火の白い煙が印象的でした。その当時は当たり前ですが、われわれの前を聖火が通過する時刻はきわめて正確でした。たぶん秒単位で白バイが先導していたと思います。聖火ランナーも笑顔は無く、緊張した面持ちでキリット前を見つめてよそ見せず正統的なフォームで一定の速度で駆けてゆきました。 見るほうもきちんと整列して拍手はするも掛け声や私語は謹んで拝見しました。

2度目は1984年のロサンゼルスオリンピック。留学中のスタンフォード大学で見ました。聖火は大学に通ずる大きな道を走って大学のスタジアムで一泊する予定でした。到着時刻は21時ごろということでした。20時ごろから大勢の人が集まってきて、ロックをかけて踊ったり、バーベキューをして騒いだりしています。見る人の服装も短パンにTシャツ。ところが、待っても待っても聖火はきません。立ってまってるのも限界と思われた24時前に、予定の3時間遅れでようやく聖火がやってきました。遅れたわけはすぐわかりました。聖火ランナーは走っていなく歩いていました。周りの人に手を振ったり、握手したり。周りの人もほとんど取り囲んでしまって、ランナーは走れません。でもみんな楽しそうでした。ランナーは確かコカコーラの抽選にあたった人が100mづつ走っていたように記憶しています。
そして夜の12時ごろからスタンフォードの学長や市長が挨拶に立って、聖火の到着式をしましたが、移動式の遊園地はできるは、食べ物を売るトラックはくるは、大変な騒ぎでした。でもアメリカ的な楽しさがありました。

土曜日, 2月 02, 2008

漢方セミナー

修学旅行はどこへ行きましたか?

自分は金沢の中学高校でした。中学3年生のときは関東です。
1日目は金沢を出て米原経由で新幹線に乗って熱海で降り、伊豆の湯ヶ島のとうふやで一泊です。2日目は伊豆の踊り子の道をたどって(今では、石川さゆりの天城越えのほうがいいですが)下田に抜け、2泊目は横浜のドリームランドでした。3日目は、羽田空港から東京を見学しました。自分は銀座がいいと主張したのですが、西洋美術館などしょうもないところを見学しました。泊まりは、四谷の旅館で、東京に親戚のいる人はそっちのほうに行きましたが、縁の無い人は枕投げをして楽しみました。次の日は上野から金沢に帰りました。
印象に残っているのは、その当時金沢では100円札だったのに、東京では100エン硬貨であったこと。都会は進んでいると思いましたね。

高校の修学旅行はまた今度。
今日は、漢方の会社の大イベントで京王プラザで一日過ごしてしまいました。

月曜日, 1月 28, 2008

泉くん

エメラルドの伝説という曲を知っていますか?わがおもちゃのiPodの中に偶然入っていました。
ショーケン(萩原健一)がボーカルをしていたテンプターズの曲です。
今では信じられないような甘い声で
♪湖に君は身を投げた 花のしずくが落ちるように ・・・という曲です。

自分は中学生のころから下宿をしていて、高校になったときに下宿が変わりました。そこでふすま一枚隔てた隣になったのが、川口泉君です。同じ高校の同級生です。クラスは一緒でなかったと思いますが自信がありません(3クラスしかないので全員が同じクラスのイメージです)。

泉君はちょっと長髪で、特に前髪が目の前にかかって傍目にはうっとうしそうというか、目つきが悪くなると思うのですが、当人はかき上げる姿が格好いいと思っていたようです。
泉君とはじめて会ったとき、
泉「君はどんな曲が好きなの?」
ボク「舟木一夫かなぁ、高校三年生とか学園広場とか、青春歌謡だよね」
「君は古い、世の中はビートルズの時代だよ、日本もグループサウンズの時代だよ」
「で、君は誰が好きなの」
「テンプターズがいいね。ショーケンが格好いいよ。タイガースはファンが多すぎて大衆受けしていてよくない」
といって歌ってくれたのがこの曲です。

♪逢いたい君に逢いたい 緑の瞳に僕は見せられたぁー
という絶唱部分ではアクションつきで

「ここのところで多くの女の子が失神するんだよ」
と教えてくれました。
泉君の絶唱を聞いていても誰も失神するとは思えなかったですね。

泉君とは3年間ふすま一枚隔てた部屋で過ごしました。1ヶ月も口を聞かないこともありました。
彼の恋文を届けたこともありました。頼みもしないのに、僕の代わりに電話をかけてくれたこともありました。

学園紛争が盛んであったあのころ、三島由紀夫が自決したあのころ、北陸の田舎町の高校生はちょっとだけ長髪にして、内緒でグループサウンズに親しんで反体制になったつもりで、
でも粛々と受験勉強をしていたのです。
ちなみに泉君はにしきのあきらも好きでした。

今、泉君は富山県の雪深い山奥(南砺波郡福光町、いまは南砺市福光)で眼科をしています。今調べたらなんと医師会の理事です。
http://www.fitweb.or.jp/nanikai/yakuin.htm

エメラルドの伝説の思い出でした。