木曜日, 7月 31, 2008

歯科医師

一日文部省で会議。
午前中は歯科医師の養成のあり方を考える会議です。
歯科医師の状況をお話します。日本には29校の歯学部があります。国立と私立は半々くらいですが、定員だと私立が70%を占めます。毎年2700名程度が卒業します。医師の3分の一程度です。
ご存知のように、世間では歯科医師が余っています。子供が少なくなり、子供の虫歯も少なくなり、主な患者は老人で、入れ歯を作るのが仕事の大きな部分を占めています。
歯科医師があまっている為かどうかわかりませんが、最近の国家試験の合格率は低下し今年はついに70%を割り込みました。歯学部を卒業しても、3人に一人は歯科医師になれないことになります。教育資源の無駄といえば無駄ですね。
話題の中心は、学生実習とか研修のときに患者さんがいないということでした。患者の立場からだと、「学生が歯を削りますが、よろしいでしょうか?」とか「研修医と経験豊かな歯科医師とどちらになさいますか?」と聴かれても困ります。学生や研修医の場合、値段を安くできればいいのですが、法的にはできません。医科歯科大学では、予約のない場合、研修医であればその日のうちに見てもらえますが、経験豊かな先生の場合は1ヶ月近くもまたされます。
ということで、学生や研修医は模型の歯ばかりを削っています。それでいいのでしょうか???

午後も会議。今度は他の学部の先生方との合同の会議。文学部、法学部の先生は一言一句に細かくて話が先に進みません。時間がまったりと流れていきました。

夜は、大学で、オランダの先生の講演会。司会をおおせつかり、英語の質疑を無事に終えたら、結構疲れました。「江戸時代、日本の西洋への窓はオランダしかありませんでした。昔から両国は深い中にありました。今日の御講演でその絆がさらに太くなりました」とうのが閉めのご挨拶でした。

水曜日, 7月 30, 2008

日記

一日、文部科学省主催の医学教育指導者のためのワークショップというのに参加しました。
グループワーク中心で、タスクフォース(グループ世話人)としてがんばりました。

会場の慈恵医科大に行く途中で面白いことがありました。
目黒から地下鉄三田線の車内です。時間は7時30分ころ。
隣に20代半ばくらいの女性、それも結構美形の女性が座っており、黒い表紙の中版のノートにびっしりと書いたものを読んでいます。それとはなしに覗き見ると、なんと日記でした。一日分が結構長いです。
彼女は恋をしたみたいです。恋をすると女性は詩人に変わるようです。
日記6月17日 
「彼からすべてを受け取って、私のすべてをささげる。」
「大好き、大好き、彼は私の理想の人と思う。」
そのあと、会社の飲み会の幹事を初めてしたみたいで、飲み会の感想がありました。
7月の中旬になると、
「不安」とか 「創造のあとに来るのは破壊だろうか」など、危機状態になったみたいです。
昨日のは 「これだけは言える、二人とも大きなものを学んだといえる。」とあり、どうも別れたたみたい。かわいそう。
そのあと、彼女は一生懸命続きを書きだしました。

自分は、隣で顔を動かさないで、目だけ動かして見たので大罪には当たらないです。
決してバックから抜き取ってみたわけではありません。
皆さん、電車の中で日記をつけるのはやめましょう。

火曜日, 7月 29, 2008

落雷

医学教育振興財団主催のシンポジウムに参加。
今年のテーマはシュミレーター教育。最近、救急処置などに結構精巧な人形を使って、技能訓練することがはやっています。内視鏡の練習や、内視鏡手術なども練習できます。さらに、瞬きしてマイクから声を出すことができて、さらに、異常な心臓の音や呼吸音を出すことのできる人形もあります。2千万円以上もします。
安全に実習するためには必要なことですが、人形で充分な技能が実に付くかというのも疑問です。例えば、婦人科的診察で妊娠子宮のやわらかさ(つきたての餅のようと表現されます)などは絶対に人形ではわからないと思うのですが、どうでしょうか?

夜は、かつて病院の総合研修センターで働いていた人が集まって納涼会を新宿でしました。930ごろ終わって帰ろうとしたら、東京中、雷と土砂降りがあって、落雷のため山手線が止まっていました。東京に詳しくない方には恐縮ですが、細かく言うと、新宿から中央線でお茶の水に出て、丸の内線で大手町、そこから半蔵門線であざみ野まで帰りました。1時間30分くらいかかりました。酔っ払いの身としては結構つらかったです。
ほかの人に話したら、新宿から埼京線で渋谷に出るべきであったとの意見があり愕然としました(たぶん45分くらいで帰れたと思います)。

月曜日, 7月 28, 2008

夏の同窓会

第三内科の夏の同窓会が開催されました。従来から、お正月4日の新年会、4月の内科学会時の同窓会(学会開催地の一流ホテルでの宴会)がありましたが、大学の中ででも開催しようということで、15年ほど前から夏の同窓会(ビアパーティ)が開催されるようになりました。
うちの内科は、第三という名前ですが、第一や第二や第四と比較して、最も古く伝統があり、従来から研究レベルも高く、研究費の獲得も多いです。なぜ第三かというと、昭和40年代の学園紛争のころまでは、沖中内科とか、中尾内科など教授の名前をつけていましたが、教授の持ち物ではないというような理由で、講義を受け持っていた講座の名前をつけることになりました。その頃まで各内科で、内科学第一講座と第二講座と第三講座を持ち回りで受け持っていたのをそのままその講座の名前としました。わが中尾内科はたまたま第三講座を受け持っていたので第三内科になりました。でも、くどいですが、伝統も実績も一番のはずです(^_^.)
同窓会は年寄りばかりで自分でもまだ若い方です。それに乾杯までの挨拶が長く、現役教授、前教授、元教授と延々に続きそうです。教授の方は長寿の方が多く、現教授の、前、その前、さらにその前の先生がご存命です。どんどん挨拶が長くなります。現役教授の自慢は、研究費をどれだけ稼いだかということに尽きるようです。ごめんなさい、どれだけの患者さんを助けたかは統計が取れないのであまり話題になりません。
ということで集まった先生は、この大学のお偉方か、ほかの大学の教授になられた先生が多く、自分は頭を下げ続けていたら悪酔いしました。おいしいお酒がのみたいです。

日曜日, 7月 27, 2008

今日も・・

共用試験機構で、試験実施要綱の見直しのため、10時から16時過ぎまで会議。九大、千葉大の先生に加え、事務の女性も日曜日の朝から会議でした。12月からの2009年度の試験に向けて、こと細かく実施要綱を書き連ねてゆきます。去年のは読みにくいとか、わかりにくいとか評判がいまいちよろしくなかったので、読みやすくするため大幅改定になりました。疲れる仕事です。
 高校野球、早稲田実業は残念でしたが、慶応高校は逆転で出場を決めました。すごいですね。実は、自分は中学生時代は野球部に属して、夏休みは真っ黒になって野球少年をしていました。足が速かったので、外野を守り出塁すると必ず盗塁を狙うような選手でした。バッティングはいまいちでしたが、時々ボールのほうからバットの芯に当たってくれたときは、よく飛びました。
 学校は進学校でしたから、チームはいつも1回戦で敗退でしたが、校内では野球部のレギュラーということでそれなりに注目もされ、ちょっとはもてました(^_^.) ちょうどこの頃、夏の甲子園は50回の記念大会で、巨人に行った新浦を擁した静岡商業が準優勝した年でした。今年は90回の記念大会だそうで月日のたつのに驚いています。
 高校に進学したあと、野球部のメンバーの半分くらいは野球を続け、半分くらいは勉強にいそしみました。自分は後者で、文芸部を立ち上げ、勉強の傍ら小説を書いたり、詩を書いたりしていました。中原中也よりも、島崎藤村を愛したタイプです。野球部に進んだ中では、小紫君という友人が東大に現役で行き、東大の野球部のレギュラーになりました。彼はショートで、中学時代から野球のセンスはずば抜けていました。それに足が短くトンネルをしない体型でした(^_^.)
暑い日刺しの中でするのが夏の甲子園の醍醐味とは思いますが、年々熱くなってきているので、早朝とかナイターとかにシフトさせたほうが、選手はもとより観客のためにも良いと思いますね。

土曜日, 7月 26, 2008

帰京

朝ホテルで朝食後、8時41分発の特急南紀で帰京しました。
東京に着いたのが、11時23分。12時から医学教育学会で共用試験・国家試験委員会に出席。13時30分から医学教育の安全というワークショップの司会と講演をしました。
その後、1630より1830まで大学で、研修制度問題の情報交換会。京都とか千葉、九州、秋田の先生方に集まってもらい、さらには文部省の方もお見えになり熱心な討論がされました。
これが終わって、本当に疲れました。

金曜日, 7月 25, 2008

三重県の津、滋賀県ではありません

三重県の津に来ています。
滋賀県にあるのは大津です。混乱している人が多いです。
朝一番に医学教育学会の座長をして、新幹線と在来線の特急を乗り継いで、やってきました。検査血液学会の理事会のためです。駅前のホテルが一番高い建物で、15階の部屋から見ると海から田んぼまで一望できます。海も近く、川の河口の近くにサティや大学病院があります。
前の助教授の先生が、今は三重大学におられるのですが、今日は東京の医学教育学会に出席されていました。
 左端に大学病院の一部が写っています。

理事会のあと、会長招宴に出ました。ホテルの立派な和食コースです。その時大会長の先生のご挨拶で津のご紹介がありました。
日本三大津のひとつで、あとの二つは博多と多度津だそうです。歴史的には、本能寺の変のとき徳川家康が、あわててこの津の港から岡崎に逃げ帰ったことで有名?だそうです。現代では日本鋼管とアイスクリーム・アンパンで有名な井村屋があることくらいが威張れることだそうです。近くの鈴鹿サーキットで恒例の耐久レースをやっていて、学会参加者でも多くが津に泊まれなくて、四日市や名古屋や、伊勢に泊まる事になったようです。鳥羽で英虞湾を見ながらいっぱいやるのもいいですね。


検査血液学会の会員は医師と検査技師が半々で、みんな結構仲が良く、リラックスできる学会です。当然会長招宴の後、町に2次会に繰り出しました。

さて、昨日のブログでは、お騒がせいたしました。理事に落選して、仕事が減ってよいという励ましや、お気の毒にという慰めやそんな悪人の多い学会は出なくて良いというご意見など多くのレスポンスをいただきました。共通して皆さん他人の不幸を楽しんでいるように見受けられたのはこちらの僻みでしょうか???


理事長は3人、選挙以外に指名で理事を選ぶことができるという制度があり、携帯に新理事長からお電話があり、指名理事というのになることになりました。2年間指名理事という変な名前で過ごすより潔くお断りすべきかとも思いましたが、それもすねているみたいでお引き受けしたしだいです。いろいろご心配をおかけしました。いい勉強になりました(^_^.)